刺激中毒

今日が命日でもいいように、過去を悔やまず、未来を恐れず、現在を生きる。

死にたい人への「生きろ」は無責任な言葉。愛逢月に想う。

 

f:id:juliajewelkali:20220707202637j:image
f:id:juliajewelkali:20220707202634j:image

 

 昨日の、田舎臭くて健康的な昼食。

 事務仕事をする日だった。厨房には立たず、事務室で1人、書類と睨めっこ。

 退屈だった。書くのは好きだけど、眠くなる。電卓を叩きながら食材の量を計算。寝起きの6時半にやるのは向いてない。

 俺はやりがいのない仕事をしていると嫌になるので、何か為になる事はないかと思い、最近ハマっているTwitterを閲覧していた。フォローしてる人がスペースを始めたので、聞きながら書き物をする事にした。

 その配信をしている人に、数日前、こんな事を言われた。

 「文章が上手いんだし、有料記事書いた方がいいよ」

 文才溢れる人を幾多数多と見てきたので、この戦場で闘うのは無理だと思った。

 「新しい朝だよ」

 その人は言ったんだ。確かに、過去の自分はもういない。今日を生きる。素敵な生き方だ。参考にしたいと思った。

 「俺はお金を取れるほどのものが書ける自信がない」

 そう言ったのは本音。価値ある記事が何なのかもわからない。でも、新しい朝だ。過去の自分を捨て、新しい事に手を出そう。そう思って有料記事を執筆した。

 

 

 今のところ一気に7個書いた。お好みに合うものがあるかわからないが、興味があったら読んでほしい。

 自分で書いた文章にお金を払ってもらう事が目標だった。その夢を叶えてもらえると嬉しい。

 

 さて、ここまでは昨日の日記なので、今日の話をしよう。

 

 

 「愛してる」以上の言葉を俺は知らない。死にたがりの俺を生かしてくれた最愛の妻へ感謝を。

 妻は俺に延命治療を施した。社会の荒波に立ち向かおうという意思は生まれた。生き続けたところで何になるかわからない節があったけど、愛の為に生きる事にした。

 ただ、思うんだ。

 「死にたい人を救いたい」だなんてありきたりな綺麗事があるけど、生きる事が必ずしも幸福とは限らない。

 生き地獄なこの世界を生き抜いたところで何だと言うのだ?

 きっと、愛なんだ。愛が無さすぎるから一切皆苦なんだよ。

 死にたくなるほどの苦難に苛まれている人に「死なないで」と言うからには、逃げ道などの対処を伝えるべきだと思う。なのに、聞こえの良い言葉だけ言って終わりな人が多いよね。

 それじゃあ、生き続けたところで何も変わらない。希死念慮は消滅しない。

 その点、妻は俺を救済してくれた。俺に愛を教えてくれた。だからこそ、今こうして生きていられる。

 皆、心が渇いてる。水をあげなきゃ。

 

f:id:juliajewelkali:20220707202652j:image

 

 さて、やよい軒に行った。

 冷や汁とやらを初めて食べた。元々この郷土料理を知りもしなかったんだけど、好きな俳優がYouTubeで食べてて、それで知った。食いたいなあと思っていた。

 

 

 どんな味なのか楽しみにしてたけど、ただ味噌汁に氷とキュウリ入れただけって感じがする。でも、ご飯ぶち込んで食ったらめっちゃ美味かった。3、4杯は食べたと思う。俺はやよい軒に行ってもご飯おかわり出来ない人間だったら、沢山食べれて大満足。

 今日も良い一日を過ごした。のんびりとした休日だった。

遺書は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。