昨日の、田舎臭くて健康的な昼食。
事務仕事をする日だった。厨房には立たず、事務室で1人、書類と睨めっこ。
退屈だった。書くのは好きだけど、眠くなる。電卓を叩きながら食材の量を計算。寝起きの6時半にやるのは向いてない。
俺はやりがいのない仕事をしていると嫌になるので、何か為になる事はないかと思い、最近ハマっているTwitterを閲覧していた。フォローしてる人がスペースを始めたので、聞きながら書き物をする事にした。
その配信をしている人に、数日前、こんな事を言われた。
「文章が上手いんだし、有料記事書いた方がいいよ」
文才溢れる人を幾多数多と見てきたので、この戦場で闘うのは無理だと思った。
「新しい朝だよ」
その人は言ったんだ。確かに、過去の自分はもういない。今日を生きる。素敵な生き方だ。参考にしたいと思った。
「俺はお金を取れるほどのものが書ける自信がない」
そう言ったのは本音。価値ある記事が何なのかもわからない。でも、新しい朝だ。過去の自分を捨て、新しい事に手を出そう。そう思って有料記事を執筆した。
今のところ一気に7個書いた。お好みに合うものがあるかわからないが、興味があったら読んでほしい。
自分で書いた文章にお金を払ってもらう事が目標だった。その夢を叶えてもらえると嬉しい。
さて、ここまでは昨日の日記なので、今日の話をしよう。
過去記事を読み返していると、付き合った当初の記事を見つけた。ロマンチックで素敵な日々がそこにあって、喧嘩ばっかしてもそれは「愛してる」の表現で、本気で相手に意見をぶつけているからこそだったんだよね。お互いがお互いに相手を理解しようと奮闘してるのが初々しい。
— 空我 (@orenoisyo) 2022年7月6日
俺は恋愛自体が初めてだから何もかもが新鮮で、とても楽しかった。彼女は写真を嫌がるけどこっそり撮ったりして怒られる。今を、残したかったんだ。でも、現在はどうだ。写真を撮るとすれば料理ばっかりで、それは日が経って読み返しても大して面白くない。
— 空我 (@orenoisyo) 2022年7月6日
俺が残すべきなのは彼女との夫婦生活であって、料理日記ではないはずなのに、どうしてこうなったんだろうか?
— 空我 (@orenoisyo) 2022年7月6日
恋愛経験豊富な妻は、付き合った当初に言っていた。
「居る事が当たり前になったら終わりだよ」
初心に帰ろう。何気ない日常ですら写真に残したかったあの頃に。
「愛してる」以上の言葉を俺は知らない。死にたがりの俺を生かしてくれた最愛の妻へ感謝を。
妻は俺に延命治療を施した。社会の荒波に立ち向かおうという意思は生まれた。生き続けたところで何になるかわからない節があったけど、愛の為に生きる事にした。
ただ、思うんだ。
「死にたい人を救いたい」だなんてありきたりな綺麗事があるけど、生きる事が必ずしも幸福とは限らない。
生き地獄なこの世界を生き抜いたところで何だと言うのだ?
きっと、愛なんだ。愛が無さすぎるから一切皆苦なんだよ。
死にたくなるほどの苦難に苛まれている人に「死なないで」と言うからには、逃げ道などの対処を伝えるべきだと思う。なのに、聞こえの良い言葉だけ言って終わりな人が多いよね。
それじゃあ、生き続けたところで何も変わらない。希死念慮は消滅しない。
その点、妻は俺を救済してくれた。俺に愛を教えてくれた。だからこそ、今こうして生きていられる。
皆、心が渇いてる。水をあげなきゃ。
さて、やよい軒に行った。
冷や汁とやらを初めて食べた。元々この郷土料理を知りもしなかったんだけど、好きな俳優がYouTubeで食べてて、それで知った。食いたいなあと思っていた。
どんな味なのか楽しみにしてたけど、ただ味噌汁に氷とキュウリ入れただけって感じがする。でも、ご飯ぶち込んで食ったらめっちゃ美味かった。3、4杯は食べたと思う。俺はやよい軒に行ってもご飯おかわり出来ない人間だったら、沢山食べれて大満足。
今日も良い一日を過ごした。のんびりとした休日だった。