彼女との恋愛は、最初で最後の、最高な恋愛だったと思います。
東京の寺に埋められてるんですが、今はそこまで行けないので、事情を話し、近くの寺で供養してもらいました。
お焼香をあげて、葬式の時に唱えるお経を、住職の方は唱えてました。涙が止まりませんでした。
この世界に、産まれてほしかった。可愛がりたかった。性別もわからない子供を、俺は失いました。
ただただ泣くしかありません。
俺は誰かに愛されたかったし、誰かを愛して生きたかった。子供も欲しかった。その夢は、一年も経たないうちに、壊れました。
住職にお守りをもらいました。これを撫でていると、まるで我が子を撫でてる気分になって、涙が止まりません。
御供物として、子供向けのお菓子も買ってみました。こういうのを、食べさせてみたかった。
テレビとかで親子の映像が流れると、ああいう家族の姿が羨ましくて、本当にツライです。
俺は、我が子を抱きしめたかった。
ネットにその事を相談する投稿をしました。すると、「泣きたいだけ泣けばいいし、無理に忘れる必要もない」と言われました。続けて、「だって、幸せな思い出だったんでしょ?」
女々しい話ですが、それを言われただけでまた、涙目になってしまいます。
そして、助言を貰いました。
「それをいつか次好きになった人に話しな?
ちゃんとその思いを受け止めてくれる人と付き合いな。1人で背負うには荷が重すぎることやからね」
俺は、あの時自殺しなくて良かったのかもしれません。俺はまだ、死ぬ事を許されていないのでしょう。
我が子を死に追いやった罪を背負って、それを償う生き方をしなければなりません。ただ、人の死は、償いようが無いのです。なぜなら、取り返しのつかない事なのですから。いくら謝罪や後悔の言葉を述べたところで、戻ってくるわけじゃありません。
贖罪。俺は残りの人生を、苦しみの中で生きるしか無いのです。なぜなら、それだけの事を、俺はしてしまったのだから。