最初で最後の、最愛。

忘れよう、朽ちよう。

シンギュラリティとは?これから起きる事に備える術

お題「好きな作家」

 

 

 

チャオ!

 

ベスト・イキリストの

 

ビッグボーイですううう!!!!!

 

AIは人類を脅かすのか

 

 科学技術の進歩が目まぐるしい事は皆さんも既にご存じの通り。隣国である韓国では既に5Gが導入されているし、同じく5Gが到来しているアメリカ、そこの大統領トランプ氏は6Gを急ぐよう発言している。*1

 

 そんな中で危惧されているのがシンギュラリティだ。端的に言えば、AIが人間の知能を超える事。それが2045年とされており、その後の世界をディストピアと捉えるかユートピアと解釈するかは各々の判断に委ねられる。

 

 少なくとも、現今の世間は楽観的シンギュラリティの中にいる。IoTや自動運転などの発展により生活はこれからさらなる利便性を追い求め、より良い世界の実現に向かっている様に思える。しかし、それは共同幻想である可能性も捨てきれない。

 

 SFチックな表現になるが、人工知能が人間を敵視すれば攻撃してくる可能性だって否定できない訳だ。現にサイコパス的な思考を持った人工知能が開発されていたり*2ヒトラーは正しいと主張してユダヤ人を差別し、フェミニストへ暴言を吐くようなAIも登場している*3。このように、人工知能(AI)の脅威は現実のもので、悪用される技術の多くはすでに開発済みだと専門家たちは警告する*4。有名な人で言えば、イーロン・マスクはAI競争が第三次世界大戦へ発展する危険性を危惧しており、その引き金を引くのは国の指導者ではなく、AIである可能性も指摘している。*5

 

 以上の様に人工知能の進歩には潜在的な危険性が存在しており、そこへのリスクヘッジを研究者に望む他ない。

 

シンギュラリティは人類に希望を与えるか?

 

 さて、悲観的シンギュラリティを説明した所で、次は楽観的シンギュラリティを想像してみよう。それはシンギュラリティを漠然と恐れるテクノフォビアへの処方箋とも成りうる。

 

 人工知能の発展により、数々の職業が失われる事は数々のメディアで語られてきた。例えば俺のような蕎麦職人など、サービス業に居る人間は職を失うのは確実、という風に煽られる。しかし、『それはある意味素晴らしい時代の予兆である』という風に解釈する記事を書かせてもらった事があった。*6

 

 シンギュラリティ後は新しい働き方が普及する時代であり、昨今の日本で話題になっているブラック企業社畜などの問題を解決する希望とも成りうるだろう。

 

 しかし、楽観的シンギュラリティが到来した時代にも危険性が潜んでいる事を俺は指摘している。*7

 

 端的に説明すると、IoTによって様々なものがインターネットと繋がるなら、クラッキングにより奪われる情報も数多に増え、プライバシーが容易に侵害されるだろうし、最悪の場合は命すら危ういだろう。今でもSNSの不注意な言動が晒されて炎上し、個人を特定され犯罪の被害に遭う人が複数居る。それが科学技術の発展により、いともたやすく出来るようになってしまうのではないか、という話。

 

 これで記事を終えてしまうと悲観的になってしまうので、別の要素も落としていく。ここで、俺が最近読んだ本、落合陽一さんの『超AI時代の生存戦略』の読書感想文も兼ねる。

 

 さっそく引用させてもらう。

 

機械との親和性を高めコストとして排除されないようにうまく働くか、機械を使いこなした上で他の人間から職を奪うしかないのだ。この構図は機械対人間ではなく、「人間」と「機械親和性の高い人間」との戦いに他ならない *8

 

 俺は人工知能に仕事を奪われる時代を『社畜の元へ差し込む一筋の光』みたいに言ったけど、その希望に辿り着く人間は限られる。機械を使う側になるか、機械に組み込まれる側になるかの対立構造になると落合陽一さんは語られている。

 

 俺の解釈だが、科学技術の発展に順応する事で、近い未来に到来するシンギュラリティへ適応できるのだろう。AIが労働するのが当たり前の時代になっても、機械の如く働く人は将来も残り続ける。もしそうなれば、人は人工知能の登場により、改めて人間性とは何か』という問いに向き合わなければならないようになるだろう。

 

 それは言うなれば人間性の逆定義であり、AIが溢れかえる社会の中でヒトはヒトらしくある為に、『自分らしさ』を追い求める必要性が生まれる。機械と同じ仕事をする事はアイデンティティの否定でもあり、それは空しい世界観なのだから。

 

 では、シンギュラリティ後の世界、いや、"超AI時代"に備える生き方はいかなるものか。それをこれから話していく。

 

ワークアズライフ

 

 技術的特異点に到達にすれば、人工知能人工知能を作るようになる。人間は他の動物と違い様々な物を創作できるが、そういったクリエイティブな部分でさえAIが行えるようになる、あるいは既に一部は行えているのだ。

 

 まるで人間かのような言動を行い、AIが次から次へと人間らしさを肉付けされていくなら、ヒトはヒトでありながら人間性の逆定義を行い、アイデンティティを確立する必要がある。

 

 それは具体的にいかなるものか、この項目で話していきたいと思う。

 

 落合陽一さんはワークライフバランスに対し、"違和感をおぼえる"と著書で語った。8時間のプライベート、8時間の労働、8時間の睡眠という生活は過去のものであり、精神的な負担なく私的な時間を増やす事も、労働時間を増やす事も、どちらも可能になった。時代錯誤な思考をアップデートし、多様な時代に合わせて提唱された『ワークアズライフ』

 

 

 例えば俺の場合、副業としてブロガーをやっているので、退勤後にネタ探しをしているから労働と余暇の明白な線引きなど存在しないし、会社勤めの人からしても、家族サービス中に上司や取引先から仕事の電話が着たりしていないだろうか?

 

 既にプライベートと労働の境界線は無いに等しい。そして、それはかなり精神的ストレスがあるもの。今、社会人において重要なのは『いかにストレスなく働くか』だ。多様な働き方が出来るようになった日本なので、そのノウハウを世に広める必要があるだろう。

 

 そこで重要な言葉になるのが、何度も使っているアイデンティティ『自分らしさ』。他人と差別化した人生を歩み、自分の好きなものを追い求めて、それで金銭を生み出す働き方、いや、生き方なのだ。

 

 例えば俺は蕎麦打ちを趣味としてやっていたが、それが今や仕事に成っているし、自分が好きな話をするブログで収益化を図っている。これは上記の『生活と労働の境界線が無い』という部分では同じだが、好きな事で生きていくという点においてはストレスの量、解消しやすさも違う。これは俺が過去に書いた、『人生をコンテンツ化せよ』という主張と似ていると思った。

 

 落合陽一さんの場合、ワークアズライフの世界観を説明するのに重要な言葉としてブルーオーシャン戦略』、『趣味性』、『遊び』の3つを挙げている。*9俺的に解釈するなら、仕事になる趣味を持ってブルーオーシャンを開拓し、仕事に遊び的な要素を含ませる事で豊かな人生を歩める、という事。

 

 例えば、俺の場合で言えば接客。これを仕事として行っていると表現するのは適切では無くて、人と喋るのが楽しいからやっている。蕎麦打ちに関しては、何度も話している通り俺にとって趣味だし、『10代でプロになった蕎麦職人』というのはブルーオーシャンだ。そして、遊びの要素はこのブログ。

 

 競争社会に生きるという事はレッドオーシャンで働くという事だが、ストレスフルなのはご存じの通り。この記事では個性の重要性を説いているので、他人と比べるのはよろしくないと主張する。

 

 自分の個性をメタ認知し、自らの手でブルーオーシャンを作り出す。そして自分の人生をデザインして発信し、報酬を得る。ここでいう『報酬』は2種類ある。まずは金銭的報酬。これは単純に金儲けだが、もう一つの精神的報酬にも目を向けてみてほしい。

 

 例えば、俺がブログで得ている収益自体は無いに等しい。記事のネタにしたいがために5万円使った事もある*10ので、むしろ赤字だ(笑)

 

 だが、それでもやり続けているのは精神的報酬が大きい。コメントなどで反応してもらえるのが嬉しかったり、PVが増加して読者が増える事に喜びを感じているから。

 

 資本主義社会において金銭的報酬が重要なのは解かるが、その思考を更新して精神的報酬へ着目する事も大切だと思う。やりがいの無い100万円の仕事より、好きで楽しい30万の仕事を行う方が精神的な豊かさに繋がり、人生という括りで見た場合の魅力も異なるのではないだろうか?

 

 この生き方が、これからの時代を歩む術ではないかと考えている。

 

「ヒト」を再定義する*11

 

 もう既にSNSが生活に密着して、組織だけでなく個人にも注目が集まるようになった。これから益々そうやって名前を売る人が出てくるだろう。それは人間だからこその魅力であり、個性なのだ。

 

 人間は様々な選択の中でアイデンティティを確立して生きていく。これが、人間性を持ったAIとは違う『自分らしさ』

 

 落合陽一さんは、著書の中でこう語っている。

 

好きなものだけを集めていけば、おのずとその人らしさは表れていく*12

 

 自分は何者なのか。それは自問自答して自らの判断で決める事だ。

 

 そうやって複数の決断を積み重ねる中で、各々が独自の世界観を築いていく。それはさながらVRの様であり、みんな事象に対する勝手な解釈を繰り返す。この世界は言わば仮想現実なのだ。

 

 例えば、この記事の主題であるシンギュラリティ。これはディストピアともユートピアとも捉えられると冒頭で語った。科学技術を恐れる人は悲観的に捉えるだろうし、歓迎する人は楽観的。しかし、技術的特異点の解釈はもう一つあって、それがプロトピアだ。

 

 簡単に説明すると、『徐々に良く成っていく』という事。例え2045年ディストピアだとしても、そこから段々とユートピアへ近づく、とでも表現できるだろうか。だが、逆も有りえるだろうと俺は思う。

 

 この様に、世界への解釈は様々だ。ヒトは思い思いに見たい世界をみている。これについては、ポスト真実という言葉が参考になるだろう。

 

 未来を恐れるか、喜ぶか、受け入れるか。この選択は読者に委ねる。過去の解釈ですら自分次第で変えられるし、アナタはアナタなりの世界を生きるしかない。

 

 

 シンギュラリティを話題とする記事によくある「労働はAIに任せて、人は可処分時間をクリエイティブな事柄に活かせる」みたいな着地点にするつもりはない。上記で語った通り機械に混じって働く人も存在するだろうし、"クリエイティブ"も人工知能が行えるようになった昨今、例えば画家や小説家など、創作を仕事とする人の職も危うい訳だ。

 

 シンギュラリティティは科学者達だけの問題ではない。ヒトが自ら育てた人工知能に脅かされる中で、それは科学技術だけの問題ではなくなり、哲学の再構築を行う必要も生まれた。

 

 文字通りロボットの様に働くヒトが存在する中で、人間性を持ったAIも登場する。シンギュラリティに突入したヒトは、自分を再定義した上で新たな境地へと更新し、未だ見ぬ時代を築きはじめるのだろう。

 

 それはディストピアか、ユートピアか、プロトピアか、はたまた・・・。

 

 ここからは下の記事が参考になる。トランスヒューマニズムを知らない人は、新たな思想をインストールするつもりで閲覧してほしい。

 

 

juliajewelkali.hatenablog.com

 

 

落合陽一さんの著書を参考に記事を書かせてもらいましたが、あくまで俺の解釈に基づくものであり、著者の意見とは異なる場合があります

 

 

超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト

超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト

 

 

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