この世界は仮想現実であると言える理由

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お題「ひとりの時間の過ごし方」

 

 

 時間は存在しないと湯船に入りながら思ったので、それから書いていく。

 

 過去、現在、未来が存在し、それを時間と呼ぶならそれらは存在しない。

 

 考えてみよう。まずは過去から。

 

 この世界が存在するというなら、いつから在るといえるだろう。無から有が突然生まれたとでも言うのだろうか。ビッグバンか。それとも他の理論を主張するだろうか。言うだけなら簡単だが、証拠はあるのか?

 

 「今、私は世界を認識している。あなたもそうだろう。だからこそ世界は存在するのだ」と言うかもしれない。ただ、みているからといってそれらが実在するという証拠にはならない。

 

 あなたは夢をみた時、その世界が実在すると言うだろうか?

 

 この現在も、夢と同じなのだ。確かに認識しているが存在するという証拠はない。

 

 次は未来の話をしようか。もう僕が言おうとしていることを察知しただろうが、未来は認識していないから実在しないんだ。

 

 現在主義の人なら、「過去や未来は実在しないが、認識している今だけは在る。現在で化石や映像をみるから過去があったとわかるように、現在が未来を予想するから在りえると思えるように、現在があるから時間も存在するように感じるだけだ。現在しか存在しない」と主張するだろう。

 

 だが、現在も自己が認識しているから夢幻のごとく実在しているかのように思えるだけで、本当はこの世界そのものが存在しないのである。話題の言葉で例えるなら仮想現実だ。これも、認識するから映像に映し出される人物や風景も存在するように思える。しかし、本当は無い。これと同じように、現在も在りえないと言える。

 

 自己だけが実在であるというのは、ラマナ・マハルシが唱えた「私は誰か?」という懐疑により、これらが説明される。

 

 森羅万象を疑ったとしても、それらが実在するという根拠には疑問が残る。しかし、自己だけは確実に存在する。この世界は自己が認識しているから仮初で存在する夢幻に過ぎない。実在と言えるのは自己だけなのだ。

 

 これが、僕の思想である不二一元論。参考になる聖典は下記にリンク貼っておくので読んでもらえると幸いです。

 

バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)

 

 ただ、ここまでの話を聞いた人に「お前の話は観念的な理論に過ぎない」と言われた。確かにこの世界が仮想現実だろうと今日やる予定に変わりはない。

 

 だからこの思想を生活で実践する為の記事を貼りつけたので閲覧してもらえると嬉しいです。

 

 

juliajewelkali.hatenablog.com

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