愚行権の行使

忘れよう、朽ちよう。

【なぜ俺は神を信じるのか?】自殺未遂で起きた神秘体験と、死神を崇拝する理由

 これは、俺の人生にとって、大きな転機となった。

 


 ふと、過去記事を読み返していると、神秘体験について綴った記事が消えている。どうやら誤って削除していたみたいだ。なので、ここにもう一度書き直す。古いブログの読者にとっては読んだ事のある記事になるかもしれないが、暇潰し程度に閲覧してもらえればと思う。

 


 俺は機能不全家族で育った。父親は5歳の時に川で入水自殺した。母親が離婚の話を持ち出した事が理由だと聞いているが、詳しい事は知らないし、訊くつもりもない。

 母親には、保育園の頃から、よく放置されていた。デリヘル嬢や女王様をやる人だったから。色んな男の所へ行きたいが為に、俺を親戚の家へ押し付けにまわって、時には近所の家に預けられた事もあった。親戚から、「こんな小さい子をほったらかすなんて。お前は大きくなってもグレんなよ」と言われたのを覚えている。

 あまりに色んなところへ迷惑をかけてしまったからか、小学生になると家に放置されるようになった。学校から帰ると、部屋に電気をつけ、机の上に置かれた菓子パンを食べる。真っ暗な家に慣れた小二。

 時には食べ物がない日もあり、そんな日は親の帰りを待つ。夜中に戻ってくるなり、「今日は焼肉を食べてきた」とだけ言って、寝室へ去ってしまう。俺はお腹が空いたと泣くが、無視してベッドに横になっていた姿が忘れられない。

 貧しかったので、よくインフラが止まった。服もあまり持っていなかった。なのに、クラスで1番太っていた。「臭い」と陰口を叩かれ、「デブ」と目の前で言われ、殴る蹴るなどの虐めを受けた。家に帰ると、今度は母親に叩かれる。

 初めてリストカットをしたのは、小学校高学年からだ。学校の机にひたすら「死にたい」と書き殴っていた。

 俺の居場所は実家ではない。2km以上も離れたお爺ちゃんお婆ちゃんの家へ、1人で歩いて向かった事が何度かある。

 お爺ちゃんは建築会社の会長だった。働いてお金を稼げば、どうやら楽しく幸せに暮らせるらしいと学んだ。中学生になったら働くと決意し、実際、土産物屋でバイトを始めた。初めての給料で寿司を食べた。『労働をすれば美味しいご飯が食える』という小さな成功体験を得た。

 中学校は、一年くらいで不登校になった。スクールカウンセラーにホースセラピーを勧められ、乗馬にのめり込んで、学校へ行かなくなった。朝から晩まで馬に乗る生活。

 高校一年生になると、そのまま乗馬クラブで働き出す。でも、週6で朝5時から20時過ぎまで働いたのに、月2万しかくれなかったから辞めた。

 その次に働いたラーメン屋は、楽しかった。やりがいがあった。積極的に社員から仕事を貰いにいって、褒められると承認欲求を満たされる。スーパーバイザーからは「高校を卒業したら正社員になってほしい」と言われ、海外の店舗に行けるという話まで貰った。社長も度々、俺の仕事を見に来ていた。今度こそ、人生が楽しくなる気がしていた。でも、そんな様子を見たお局には嫌われ、わざと誤った指示をしてきた。それを鵜呑みにしたバカな俺は、間違った仕事をした。それを見た先輩達に怒られ、シフトを削られ、居ずらくなった。退職した。

 馬術部のある私立の学校に通いたかったので、学費は自分のバイト代から工面した。でも、その給料を親に盗まれた。いつの間にか何ヶ月も滞納になっていて、退学する始末。こうして、中卒ニートの出来上がり。

 もう、俺の人生は終わりだ。そう嘆く日々。

 


 毎日、希死念慮に襲われていた。具体的にこれといった死ぬ理由はないけれど、鬱屈とした人生に嫌気がさし、死にたくなっていた。

 バイト帰り、車の前へ飛び出した。はねられて道路の真ん中で倒れている自分を、斜め上から見ていたのを覚えている。あの時、自分が幽体になった事を、空中で自覚していた。浮いている最中、どこからともなく、「神はいる。愛の為に生きよ」という声が聞こえた。それは男とも女ともとれる、不思議な声だった。鼓膜を震わせているというよりは、俺の脳内へ直接語りかけているかのような印象だった。

 次の瞬間、光のトンネルが現れたかと思うと、勝手に突き進み、純白の世界に包まれた。神秘的で美しく、魅力的だった。俺はなぜか喜んでいた。その真っ白な世界で俺は、体を持っていなかった。でも、俺はそこに居た。いや、『在る』と表現するのが適切か。魂として、そこに。

 俺と世界は、1つになっていた。その事を認識すると、魂を肉体に戻された。今までに感じた事のない、言い様のない感覚を味わう。喜びや悲しみではない。幸せや苦しみでもない。不可思議な状態。

 道路で横たわっていたので、近くの駐車場へ身を移し、座り込むと、ひたすら泣いた。なんで号泣しているのか、自分の感情に理解が追いつかなかった。

 泣いている自分を俯瞰で見ながら、確信した。神様は本当にいる。

 そして、俺は決意した。人はいつ死ぬかわからない。死ぬ事を忘れてはならない。今日死んでもいいように、過去を悔やまず、未来を恐れず、今を生きる、と。

 これが、死神の崇拝を決めた経緯だ。

 


 数ヶ月後、親戚から手打ち蕎麦を食べに行くよう言われた。蕎麦を普及させる組織の会長をやっているからだ。身内で飲食業の経験があるのは俺だけだから、蕎麦職人になってほしかったみたい。

 生まれて初めて食べた。こんなに美味い食い物があるのかと感動した。厨房の暖簾を勝手に開け、「ここで修業させてください」と頼んだ。のちに師匠となるその人は、無愛想に「いいよ」と返した。

 手打ち蕎麦の修業は、3年3ヶ月と決まっている。ちょうど修業を終えようとしていた頃、隣の家に住んでいた人が蕎麦屋をやると言い出した。神社の境内に店を構える蕎麦屋だ。働きたいと申し出ると、その店の蕎麦打ちを任すと言われた。トントン拍子に話が進み、神社で働ける事になったのは、神様の思し召しだと捉えている。

 前の師匠が蕎麦を重視するのに対し、今度の師匠はツユを重視するから、考え方が正反対な師匠を2人持つ事で、良いとこ取りの中道が目指せると考えた。

 こうして俺は、18歳にしてプロの職人となり、蕎麦屋で働く事になった。神様を信じたからこそだと思う。

 


 修業を終える頃、コロナの話題が日本で出始めた。まだ日本に入っていなかったが、いつかは来るであろうと察した。そんな状況で飲食店をやっても採算が取れないのは目に見えていたので、その間に料理の勉強をしようと、ビュッフェで働き始めた。初めての正社員だった。都合が良い事に、地元から離れた所へ配属になった。家を出る理由が出来たのは、物凄く嬉しかった。でも、その幸せも長くは続かない。確か俺が働き始めてすぐ、コロナが日本へ入った。あまつさえ、ビュッフェへ人が寄り付かなくなり、休業に追い込まれた。すぐに倒産した。死者の日である、11月2日に。

 コロナが原因だと上層部は言っていたが、言い訳だ。それ以前から自転車操業だったので、経営が上手くいっていないのを、コロナが可視化しただけだ。

 パワハラも受けたし、数ヶ月も給料未払いで困窮したけど、彼女との出逢いをくれた会社なので、感謝はしている。販促担当の社員になれたので、そこで経験を得れたし。

 寮暮らしだったから、辞めた事でホームレスになった時期もあったけど、それはそれで楽しかった。ホテル巡りをして、ただウインドウショッピングしているだけでも、充実したデートに感じた。

 その時の経験があったからこそ、今、ホテルの清掃員をやれている。彼女と2人っきりで出来る仕事なので、他人とあまり関わる事がなく、楽な仕事だ。

 この生活を続けていて、思った。『愛の為に生きよ』という神託は、彼女の為に生きろって事だと。

 昔、彼女が職場で上記みたく俺の話をした際、「悟りを開いた仏様みたいな人だな。彼氏は、君を見守る為にきたんじゃないのか」的な趣旨を言われたらしい。その人が言うように、俺は彼女を見守る役割があるのかはわからない。でも確かなのは、神様が俺と彼女を出逢わせた事。運命だ。そこで、ふと思う。なぜ神様は、彼女の前に俺を運んだのか。

 死にたがりの俺を救ってくれた彼女は、俺にとって女神様だ。対して彼女は、俺に「本当の愛を教えてくれた」と言った。

 『愛の為に生きよ』

 この言葉の意味を理解するのに、約7年を要した。今だにちゃんと実行出来ている自信はない。まだまだ修行の身だ。でも、愛が俺の人生を輝かせた事に間違いはない。クソみたいな人生を歩んできた俺を、彼女が変えてくれた。

 彼女に愛を持って接する事が、俺が生まれてきた意味や役割なんだと解釈している。彼女との至福を考えて、俺は生きている。今が、1番幸せだ。そう言える人生になって、心の底から嬉しい。

 


 何故か俺は、神秘体験で学んだ事を、人に伝えなければならないと思ってる。その想いに突き動かされて、こうして文章を書いている。

 誰かにこの言葉が届くといいな。

 人がいつか死ぬって事は、忘れちゃいけない。死は必ず訪れる、人生の結末だ。しかも、いつやって来るのかすらわからない。例え今日だったとしても悔いのないように、自分のやりたい事をやって生きよう。それはある人にとってゲームかもしれないし、音楽かもしれない。旅行やビジネスでもいいだろう。何だっていい。自分が情熱を注げる事であれば。

 メメント・モリやカルペ・ディエムを、覚えていてほしい。きっと、人生を刺激的なものにする。

 皆、やりたい事をやって生きよう。そして、愛する人を大切にしよう。

 笑って生きていたいよね。もし何か悩む事があったら、俺でよければ相談に乗る。その為に、俺はいるから。

 それでは、ここで筆を置く。何か質問とかあれば送ってほしい。

 神の御加護があらん事を。

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