刺激中毒

今日が命日でもいいように、過去を悔やまず、未来を恐れず、現在を生きる。

「最近キスしてくれない」と言う彼女

 クリスマスはどうしようか。そんな話になった。正直、俺はキリスト教に大した興味関心などなく、イエス・キリストの生誕を祝う気持ちなんてない。『クリスマスだからプレゼント』みたいなのも、オモチャ業界の広告戦略なのは容易に想像がつく。赤の他人の生誕祭に関係ない人へプレゼントとか意味がわからない。本人へ贈るならまだしも。

 「何もいらない」

 俺はそう答えた。強いて言えば、大好物のカルパスが欲しいくらいだ。そう返すと、「残るものがいい」と言われた。

 去年、彼女は仮面ライダーのフィギュアと、カルパスをくれた。今年も仮面ライダーのグッズを買ってあげようと言われたが、断った。なぜかというと、お金がもったいないからだ。

 時々、記憶が蘇る。去年の11月。会社が給料未払いで倒産し、困窮して苦しんだ時期がある。当時は贅沢を楽しんでいたので、借金が残った。俺はあの頃、無駄に服を買っていた。自分の身の丈に合わない外食も続けていた。それで痛い目をみたから、それ以来、服は買ってないし借金もしない。むしろ、貯金を始めた。

 嗜好品を買うのが怖いんだ。仮面ライダーのフィギュアなんて、無くたって生きていける。「冬物の服を買ってあげようか?」とも言われたが、それすらもいらない。持ってるからだ。

 無理して消費行動に走らなくていい。そうやって業界のマーケティングに踊らされるから、無駄に金を使ってしまう。必要がないなら、金を使わなくていい。

 俺はもう、しばらく服は買わないと思う。贅沢した頃、必要以上に買った。だからそれをボロボロになるまで使おうと思う。将来何年か分の服は、もう買っておいたのだ。

 フィギュアとか何かのグッズは、未来永劫、購入する事はないだろう。ああいう贅沢品は、買うだけ無駄な事が解った。「クリアファイルみたいな実用品ならまだ」みたいな事を彼女は言うが、そういったものは百均で買えるのだから、わざわざ高い金出して買うのは無駄。あと、クリアファイルなんて正直そんなにいらない。あまつさえ、アニメもアーティストも流行り廃りあって、いつかは飽きる。そうなると、グッズを買っていた頃が馬鹿らしくなる。どうせお金を使うなら、長らく使える物を買おう。なおかつ、安いと良い。コスパ重視だ。

 無一文になった体験を経てから、俺は学んだ。高い授業料だったが、俺は借金した額以上の貯金が出来るようになったので良しとする。これで、良い人生経験だったと言える。

 俺は変わった。彼女と上記の会話をしていて、自覚した。でもその変化は、彼女にとって、利点だけではないみたいだ。

 「最近、キスしてくれなくなった」

 全くしていない訳ではない。でも、回数は減ったかもしれない。

 なんでなんだろうと考える。俺が、彼女を笑顔にする為のデートを考えていないからか。食べ放題へ行って、買い物をする。似たような休日が続いている。若干の飽きや退屈があるのは当然の事なのだろう。

 当初の俺なら、遊覧船を貸し切ったり花火打ち上げたり花束をあげたりしてた。でも、そこまでしても、彼女は一度、出て行った。「色々お金をかけたのに…」という想いはある。当初の俺は、少なくとも退屈はさせなかったはずだ。でも、それは長く続かなかった。

 お婆ちゃんが亡くなって多額の葬儀費用が必要になったり、給料未払いでカードの支払いが出来なくなったとかあって、金が一銭たりとも無い状態になった。そんな途端、「別れたい」と連日連夜口にするようになった。泣き叫び、喚き散らした日もあった。

 俺の仕事中に元旦那と連絡とるなどしていたので、昔の幸せが忘れられないのは察していた。だから彼女は、前の家庭に帰ろうとした。サンクコスト効果なのはわかってたけど、俺が一文無しになった途端冷たくなったのは落ち込んだ。まあ、出て行けと言ったのは俺なんだけど、「別れたい」って何ヶ月も毎日言われ続けたら、流石に耐えられなくなる。前の家庭を壊した原因は俺にもあるし、俺の所へ来いと言った分、幸せにしてあげなければいけなかった。俺はその責務を果たせなかったんだと、罪悪感や後悔に押し潰されそうになる。その時の、トラウマがあるんだと思う。

 「クリスマスの予定、考えてないんだね」

 多額の金銭を使ったところで、彼女にとっての幸せは、ここなんだろうか。未だに「こんな人と一緒にいたくない」とか「一緒にいて楽しくない」って言われる。また、俺の前から去っていく気がする。

 「私は幸せになっちゃいけないんだ」と、彼女は何度か口にした事がある。自責の念から、『自分は不幸だ』と思い込む事を贖罪とし、自分を罰しているんだと思う。彼女がそういう考え方をしている限り、俺が何をしたって、彼女は幸せにならないのではないか?

 それでも俺は、最善を尽くすべきなのだろう。俺が取り返しのつかない事をさせてしまったんだから。止めるべき箇所は止めたつもりだが、もっとちゃんと、キツく叱るべきだったとも思う。強引にでも。今更そんなこと言ったって、後悔したところで、現実は変わらないのは解っている。今を生きるべきだと。そんな事、何度もこのブログに書いているが、彼女は理解してくれていない。

 よく過去を掘り返す。「昔は〜」なんて何度聞いた事か。『過去に囚われてちゃいけない』的な趣旨も何度か記事にしてるが、伝わっていない。最近も、子供からメールが着て、「会いたい」と泣いていた。どうせそうなると、親権を譲る時に言った。「大丈夫だ」と軽く言っていたが、彼女は覚悟が足りなかったようだ。だから、俺と一緒になってからも昔の家庭が忘れられないし、そっちの方が幸せだったと思うんだ。

 過去は変えられる。自分の捉え方次第だ。

 きっと、この言葉が理解出来ても、実行は出来んと思う。どうせまた「幸せじゃない」などと言うのは目に見えているからだ。

 それでも俺は、彼女に「今が1番幸せ」と言ってほしい。そう思わせる為に、俺には何が出来るだろう…?

 コロナ禍で数々の行事が中止になってるから、デート先が限られてくるのは仕方ないけど、その代わり、似たような日々が続いて嫌気が差すのも仕方ないという、八方塞がり。

 俺には人の心理なんて操作出来ないから、不幸だと思い込んでいる人を至福に変えられない。そもそも、人を幸せに出来る人間ではないのかもしれない。むしろ、幸せな家庭を壊した張本人。幸せになってはいけないのは、俺の方なのだろうか。

 取り返しのつかないこの罪は、いかにして償える?

 ただ、言っちゃ悪いけど、俺は今が1番幸せである。この幸福を、彼女と共有出来ていない気がする。

 理由は、そもそも歩んできた道のりが違うから。今まで味わってきた幸福が、俺とは桁違い。だから、現実の捉え方が2人とも違う。俺にとってこの生活は幸せに思えるけど、彼女にとってはそうでもないんだと思う。

 彼女にとって、幸せとはなんだろうか。

 「食べる事が幸せ」とは言うから、外食は頻繁にする。食べ放題に行けば腹一杯食えるから、「幸せだとは思うよ」みたいな事を言う時はある。彼女の人生にとって、1番の幸せだったらいいんだけどなぁ。そうじゃない事はわかってる。少なくとも、不幸でないならいい。

 彼女が幸せと言っていた頃の、初心に帰ろう。

 彼女は愛されていなかった。でも、俺からの愛を受け取って、幸せだったらしい。やっぱ、愛こそ幸せなんだなぁ。

 キスしよう。彼女が幸せでないと言っても、キスはしよう。

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