最初で最後の、最愛。

忘れよう、朽ちよう。

落ちこぼれにとって、愚行権の行使が最後の砦。

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おしゃべりとか歌とかパフォーマンスで人々とうまくコミュニケーションができない人は、モノとかイタズラ、そういう“現象”を通じて社会とコミュニケーションするしか方法がない。芸術は、その最後の砦

 

林修、21歳ニート青年に敗北宣言「あの天才を動かすだけのものが自分にはなかった」<初耳学>(ザテレビジョン) - Yahoo!ニュース

 

 

 最近興味を持っていた大西拓磨さんの発言。共感出来るのは、俺自身がそうだからだと思う。この手法を使って社会と交流してきた。

 

 俺は幼い頃から、所謂空気が読めない人間で、自己中心的だしコミュ障だし、あまつさえ陰キャの極みなので、上手く他人と付き合ってこれなかった。意思疎通が苦手なので、人間関係を上手に構築出来ない。その代わりとして、小学校低学年の頃からブログをやって、他者と意思の伝達を行なってきた。

 

 絵もそうかもしれない。何年か前にスクラッチアートの話を書いたが、あれは小学生の頃に授業でやった奴だ。それがコンクールに出て金賞取ったのが思い出に遺っているので記事にした。

 

 保育園や小学生の頃だと、絵を描く事で周囲が話しかけてくれるので、それが会話のキッカケになっていた。俺は、俺を表現出来た。

 

 文章もそれに当たる。今の俺が人類全体に伝えたい己の思想を吐露して、俺は俺として、自分の人生を謳歌する。前述の通り、小学生の頃から現在の23歳に渡って続けているが、これからも文章を書き続ける。最期にはペンを握って文字を書きながら死にたいくらいだ。

 

 「そんな事をして、何になるの?」

 

 愚行権の行使。俺は、やりたい事をやる。面白かったり楽しかったり、幸せであればそれで良い。

 

 メメントモリカルペディエム座右の銘とした時、白紙のこの物語にどう書き込んでいくか。芸能ニュースや低俗なゲームなんてどうでもよく、自分を着飾ったり、タトゥー入れたりメンズネイルしたり、他人から白い目で見られるような事をしたい。愚かな行為は、俺の人生にとって娯楽で、至福だ。他者の評価より、自分の衝動。結果的に、人生の目的を達成する。

 

 

 昨日、職場の先輩から「君ならフロントも出来るだろう」と言われた。実際にお局のフロントから勧誘されていたが、俺には向いてないと思う。でも、他人にはそう捉えられているみたいだ。彼女は「仕事が出来る奴だと思われたんだろう」と解釈していたが、実際、俺は無能だ。何らかの才能に秀でている人物なら、ラブホテルでフリーターなどやっていない。仮にフロントの仕事が務まったとしても、俺は自分のやりたくない事で成功したくない。

 

 社会的な成功に大した興味関心も無くて、俺は『結果を残す』みたいな言葉が嫌いだ。俺を褒め称える奴は、自身の利益の為、道具として俺を利用する。俺が精神や肉体を擦り減らせば、使い捨てられ、次の奴に出番がまわる。他人の人生に脇役として出演して消費されるなんて御免だ。

 

 あと、俺は自己評価と他者評価が合致してない。上記の件で改めて思った。フロントの件でもそうだが、前、俺に会いたいと言ってきた奴がいた。

 

 

 断った。相手は、「そんなこと言う人だと思わなかった」的な趣旨を言った。どうやら俺は、文章を通じてでも、上手く自己表現が出来ていないみたい。俺は、ブログで自分を表しているつもりだった。俺の言葉が読者全員に理解されるものだとは思っていないし、実際の俺を知っている彼女ですら、記事を読んで誤解する。要は、完全に理解される事などないのだ。

 

 全ての読者に伝わらなくても、誰か1人でも良いから、俺の言葉を咀嚼して飲み込んでいてほしい。人間不信で人嫌いで人見知りとは言うものの、何やかんや言いながら、俺は他人と交流する事を楽しんでいる。自己矛盾に陥りながら、こうして文章を書いているのだ。おかしな話。二面性を持つのが人間。これぞ愚か。

 

 変人でいたい。凡人で死ぬのは嫌だ。落ちこぼれていながら、この愚行を楽しんで、能動的にニヒリズムを生きる。これが、俺の人生。

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