何がしたいのか,に人類全体と対峙したときの自らのステートメントを語れるかという話でもあるんだけど,あまりに最近その主張がなくないか / 他6件のコメント https://t.co/crlWPIBsCf “インフルエンサーの人生の目的のなさに辟易する. / #日々短文雑記|落合陽一|note” https://t.co/cMXYm1kThF
— ビッグボーイ🥀愚行権の行使チャンネル (@bigboy4869) 2021年8月5日
人生に意味や価値が無い事は、哲学者のニーチェが語った。俺は、白紙のこの世界に、自ら筆を取って意味付けする。
周りを見てると、他者に流されて、周囲が良しとする事を深く考えないまま行って、他人からいいように使われてる人がいる。それはただの道具だ。よその人生に脇役として出演しているに過ぎない。
俺は、俺の人生を生きる主役だ。例え否定されても、それを本当に自分がやりたいならやる。社会を崩壊させるつもりはないが、周りに実害を与えていないならとやかく言われる筋合いもないし、俺の人生に口出しされても無視してりゃいい。「お前には関係ないだろ?」ってな。愚行権の行使だ。
俺は何の為に生きているのかと訊かれれば、それは愛の為だと答える。人嫌いというか人間不信というか人見知りな俺にとって、他人の事なんてどうでもいいから、俺と彼女さえ楽しく幸せに過ごせればそれで良い。幸福を追求するには愚行権の行使が最適であろう。
俺の物語は死ぬ事によって完結する。終わりがいつくるかわからないからこそ、今日が最終回かもしれないと意識している。死神を崇拝している俺は、どうでもいい事柄をとことん無視していく。
死とは不幸ではない。いつか訪れるそれは、俺の人生に至福を齎した。
「何がしたいのか?」と尋ねられれば、「彼女を幸せにしたい」と答える。俺の人生は、これに尽きる。
さて、愚行権の行使とは何ぞや?
それは、こういう事だ。