最初で最後の、最愛。

忘れよう、朽ちよう。

食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから。

お題「最近知った言葉」

 

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クレジット:ぱくたそ(www.pakutaso.com)

 

 

  科学技術の発展により、生きる楽しみは物質的快楽そのものになり、精神的豊かさは損なわれ、貧しくなった心はSNSで散見されるようになった。

 

 虚構の中でニヒリズムに陥った現代人は、メメント・モリやカルペ・ディエムもエンタメの一つみたく消費し、浅はかな思考の中で日々を過ごすのであろう。

 

 「死にたい」

 

 俺は日々そう思う。死は絶望なんかじゃ決して無く、俺にとっての希望だ。希死念慮は悲観しての事じゃなく、俺にとっての人生なんだ。

 

 死の哲学。毎日毎日その事ばかり考えて、逆算して、今の在り方について問う。

 

 「俺はどうしたいのか?」

 

 恨みを込めて研がれた刃。強く握りしめる。死んだ方がマシだと思える出来事に多数遭ってきた。でも、それでも、生きてみた。

 

 なぜなら、どうせ相手もほっときゃ死ぬんだから。俺だってそう。そう思うと、割とどうでもよく思えた。

 

 自らが肉体から解放されるまで、自分のやりたい事をやりまくって、人生を謳歌し、満足した笑顔で死んでいきたいと思うようになった。

 

 命を洗濯した。痛みを歓迎して受け入れ、そして、乗り越えてみせようぞ、と。

 

 高みを目指したいとすら思う。未だかつて見た事の世界を拝みたいから。ずっと同じ環境に居ても退屈だし、俺は未知の道へ足を踏み入れたい。

 

 どこの道路を通ったって、目的地は『死』。結末は決まっているけど、近道はしない。この道中に面白いものが潜んでいる。それを見つけ、あるいは作り出し、人生そのものを面白くしてみせる。

 

 それは、ある意味、『死』からの逃避である。静寂や退屈において、それはふいに襲ってくる。死にたいけど、死にたくない。そんな自己矛盾に陥って、自分を正当化する。

 

 俺は結局の所、完璧を望んでいるんだ。だから不完全であると、自己否定にはしる。

 

 無常とはよく言ったものだ。不完全であるものは、完璧な時もある。逆も然り。俺は完璧な状態を長持ちさせたい。

 

 その為に、努力を続けるしかないんだ。とどのつまり、それが現在を生きる活力になる。

 

 そういった『今』を積み重ねていく事で、俺の人生は完結する。

 

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