令ジェネはアンチテーゼであり、新時代の幕開けでもあった。
「MOVIE対戦」から「平成ジェネレーションズ」へ――*1
ちょうど10年前から制作されてきた、仮面ライダーシリーズの冬映画。視聴者の前から去っていく仮面ライダーと、これから歩みを進める仮面ライダーの交差地点。しかし、今回はただの『バトンタッチ』ではない。
平成ライダーの集大成であった、『仮面ライダージオウ』。これから新時代を築く初代令和ライダー、『仮面ライダーゼロワン』――
2つの元号を象徴する仮面ライダー達が、この映画で初めて交わる事になっていく。
ジオウがもう後輩を持っていると思うと、時の流れを感じてしまう。
ジオウと言えば、平成最後のライダーという記念作。先輩ライダーから様々な教えを学び、『ライダーの力』を込めたライドウォッチを継承してきた。
そんなジオウが、後輩となるゼロワンへ、「仮面ライダーとは何たるか」を伝える番だ。
ゼロワンとの共演を可能とするのは、悪の組織『タイムジャッカー』の暗躍があるから。分断された仮面ライダーの世界が再び融合を始めた事で、初対面を果たす。
タイムジャッカーの一員、『フィーニス』の企みを止めるには、"始まりのライダー"との接触が必要だとわかる。
それは1号でもゼロワンでもなく、『仮面ライダー1型』。そしてその変身者は何を隠そう、ゼロワンの父にあたる飛電其雄(ひでん それお)だった。
ここで、ゼロワン内においての仮面ライダー誕生秘話が明かされる。そして、滅亡迅雷.netが使う変身アイテム・ゼツメライザーが制作されたキッカケさえも。
それらは全て、息子である或人の夢、『人類とヒューマギアが笑顔になれる世界を創る』を叶える目的であったと知る。
或人は、ヒューマギアと人間が対立する戦争の元凶に自分があると思い、自責の念にさいなまれた。ソウゴは或人に対して、「過去は変えられない」としつつも、こう伝えた。
「でも、未来なら、自分の力で変えられる」
この後に見せたソウゴの笑顔は、根拠のないポジティプシンキングだった去年とは違い、一皮むけた姿に思えた。様々な仮面ライダーと出逢ってきた事で成長した、"最高最善の魔王"としての表情だ。
広い意味で言えば、ソウゴには"最低最悪の魔王"だった過去がある。邪悪な思惑で世界を支配してきた。だが、その過去を変えるのではなく、最良の世界を築き直そうと前向きに取り組んだ。そんなソウゴだからこそ言える、重みのある名言だ。
今作は、友情を描くだけの作品ではない。問題提起された事が一つある。それは、『感情を持ったAIに人権はあるのか?』
或人の祖父、是之助(これのすけ)は「ヒューマギアによって人類は労働から解放される」と言った。これは、「AIの普及によって人間は仕事をしなくて済む」と楽観的な発言をする人物を表しているのだろう。
「ヒューマギアは人間を笑顔にする」という是之助に対し、秘書を務めるヒューマギア・ウィルは「人間はヒューマギアを笑顔にするか?」と無機質な表情で返す。
彼にはシンギュラリティが起きていた。きっと、内には怒りが秘められているのだろう。そこにフィーニスが現れ、アナザーゼロワンウォッチを渡す。
或人の会社を歴史ごと乗っ取った彼は、"ヒューマギア解放宣言"を行う。あまつさえ、全世界の89%を制圧。人類を絶滅危惧種に追い込む。これはある意味、彼なりの奴隷解放宣言なんだろう。
人間からすればディストピアだが、AIからすればユートピアに他ならない。ここに、2つの正義が混在する。お互いに『笑顔』を追い求めての事だった。
イズはヒューマギアでありながら、人間側に味方した。作中で具体的に描かれている訳じゃないが、イズにもシンギュラリティが起きていると匂わせる。
ウィズはイズを良く思うはずもなく、ヒューマギアの前で公開処刑を行おうとした。そこに或人が駆けつけ、ヒューマギアは道具や奴隷なんかじゃなく、「パートナーだ!」と力説。どちらかだけが得をする社会ではなく、異種共存する社会が望ましいと伝える。
その想いは感情を抱いたヒューマギアの心に響き、ウィズの解任動議が行われた。しかし、あと一人で過半数といったところで否決。
ここで、フードを被った男が立ちあがった。彼こそ其雄である。言った。「お前は俺を越えなければならない」――
ここから、父と子の戦いがはじまる。
『息子は父親を超越しなければならない』という古臭い教育法。それはある意味、原点回帰したアクションシーンだったと思う。
武器を用いず、男同士本気の殴り合い。そして、最後にぶつけあった必殺技、ライダーキック。
自分に甘えていた頃の或人とは違い、一人前の男として強くなった姿をみて、其雄は笑顔を見せる。或人にとって念願の表情だが、自分の腕に抱かれながら機能停止する姿を見て、泣き叫ぶしかなった。
其雄はアークの意志に動かされていたのではなく、フリをしていただけ。この現状を打破するには力が必要で、その為には自分の屍を超えてもらわなくてはならない。其雄なりの、苦渋の決断だった。
其雄は最期に言った。「夢に向かって、飛べ」――
「飛ぶ」には、いくつもの意味が込められていた。
もちろんライダーキックを表すし、社員一丸となって開発した衛星ゼアも含む。社運を賭けて飛び立つ場面は、涙を誘う演出になっていたのに対し、悲願のアークが飛び立つ様子は、おどろおどろしく描かれる。
登場人物の皆が皆、誰かにとっての笑顔を追い求めていた。抱いたその夢に向かって、飛んでいた。
この3つが、今作で印象的に連発されるキーワード。
ゼロワンとジオウは、諸悪の根源であるフィーニスと対峙する。彼女が目論む真の目的はヒューマギアの解放ではなく、ジオウの力を吸収して仮面ライダーの歴史を改変する事。
新時代の「始まりのライダー」となる事で人類を征服する。その為にわざとジオウを呼び寄せていた。ここまで計算しているところに、前作のスーパータイムジャッカーより一枚上手だな、と思った。
フィーニスは言う。「仮面ライダーは悪の力だろ?」
これは1号の時代から続く、仮面ライダーの伝統だ。ショッカーの改造人間から始まり、全ての仮面ライダーは敵と同じアイテムや能力を活かして戦ってきた。
善と悪は紙一重。この哲学は、今作でも重点を置いて描かれてきた。ヒューマギアも人間も、笑顔で溢れる社会を夢見て拳を交えている。
その暴力でさえ、本当は悪だ。仮面ライダーは自ら悪に染まりながらも、平和の為に戦闘を行う。ここに、仮面ライダーの正義がある。
アナザー1号に変身したフィーニスは言う。「私は原点にして頂点!」
この台詞は、仮面ライダー1号のキャッチコピー、「原点にして頂点」を想起させる。しかし、自己批判するようにソウゴが言った、「仮面ライダーに原点も頂点もない!」は印象的。
それはある種、従来の仮面ライダーや、視聴者が持つ固定観念へのアンチテーゼではないだろうか。
その台詞を、平成最後のライダーに言わせたところに意味があると思う。そういった考えは平成に置いてきて、これからは新しい時代の始まりなんだという主張を含んでいる。
面白い事に、「令和」という台詞は1回も登場しない。それでいて新時代の訪れを表現する所に、制作陣の熱意を感じる。
仮面ライダーの作品一つひとつに良さがあり、尊重されるべきものだ。順位を決めようなどと考えるのではなく、多様な個性を認めていく。そういった新しい時代――「個の時代」――の到来を、元号を用いずに表現された。
ゼロワンはモチーフにバッタを選ぶなど、原点回帰している一面がある。しかし、"社長ライダー"という初の試みもなされた。過去の良きところは見習いつつも、価値観をアップデートしていく、至極前向きな作品だ。
そういったところは、1型との戦闘場面でも見受けられる。風を使う1型に対し、ゼロワンは光。超高速で披露されるバトルシーンに圧倒された方も多いのでは?
近しい技や動きを使うが、2人は似て非なるもの。先輩をオマージュしつつも進化を意識している。それが、仮面ライダーゼロワンだ。
本編でも『夢』が重要な単語として出てくるように、未来志向なドラマである。既存の固定観念を破壊し、新たな価値観のインストールを促す。そういった映画と言えよう。
こうして、令和ライダーは新時代の幕開けを告げた。