チャオ!
風邪ひいてるなう
ビッグボーイですううう!!!!!
利益か?
契約においての義務。根拠は利益にあるのでしょうか?
「NHKをぶっ壊す」という言葉は俺的に今年の流行語大賞なのですが、なぜここまで支持されているかというと、それは受信料に対する不満が少なからず国民にあったからだと思います。
テレビを見ない人、あるいは従来より視聴する時間が短くなった人も多いと思います。なのに受信料を払い続けると言うのは言わばお金の無駄使いなので、出来れば払いたくないという人が居るのでしょう。
そういう人達にとって、契約において義務の根拠は利益にあるという事です。「契約はしても踏み倒せば良い」みたいな意見を散見しますし。
「サービスを享受するつもりがないのだから、その対価を払うのはおかしい」
要は見たい人だけが金を払って視聴すれば公平。平等。そういう理屈ですよね。
もしその理屈を主張するなら、合意無く無断で家の壁や車の修理をしたとしても、その対価を支払わなければならない、という事です。利益を与えたのは事実ですから。
でもなんか納得出来ませんよね。ここで合意派の意見を聞き、思慮を巡らせましょう。
合意か?
老人の家に勧誘電話がかかってきたとする。この場合のサービスは壺でも浄水器でも何でもいい。業者が提示した金額は相場の倍以上で、はたから見たらボッタクリだが、老人はその金額に納得し、契約に合意した。
商品・サービスそのものはちゃんと提供されて、老人は満足した。しかし、後から家族に事情を聞かれ、支払った金額を伝えたら怒鳴りだした。
「騙されてるじゃないか!」
はたして、これは欺いている事になるんだろうか。業者も老人も契約に合意したし、サービスそのものはちゃんと提供され、対価もしっかり支払われた。誰が損している?
少し例え話を変えたが、マイケル・サンデル氏の著書に書かれていた、シカゴで実際に起きた事件を元に作った。件の業者は詐欺で逮捕されたそうな。
どちらに正義があるのか?
俺はどちらかというと「合意にある」と考える派です。例え立ち寄った飲食店のサービスに不満があったとしても、注文をしたからには不味い料理にも金を払います。利益より合意を重視しているんです。
しかし、上記の事件からもわかる通り、例え双方の合意があったとしても、第三者からみれば道徳的に問題がある場合もあります。
あまつさえ、交渉相手が自分より優位な立場にあって、合意を強要される場合もあります。「合意しなければ――」と脅迫されて。その場合でも、「合意したからには義務を果たさなければならない」と言えるでしょうか?
そこに美徳や正義といったものはありませんよね。言わずもがな、強要罪などにあたるでしょう。
契約の義務は何を持ってしてその効力を持つのか。利益、合意。その両者ともに不備があるように思えます。
我々が考えるべきは正義や美徳といったものであるべきで、「双方が合意してるなら、第三者である私には関係ないわ」と冷酷に切り捨てるのは、あまりにも人間味が無さ過ぎます。
両者ともにこの記事では反論を記しましたが、再反論として「絶対的な美徳・正義はない」という主旨が考えられます。事実、そうでしょう。しかし、それでももっとより良い正義を追い求め、吟味を止めないよう意識し続けなければならないと思うのです。
それこそ、知を愛するという事ではないでしょうか?
これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
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