信じる宗教と、疑う哲学

お題「今日の出来事」

 

チャオ!

 

仏教徒を辞めた

 

ビッグボーイですううう!!!!!

 

 

 このブログでは、度々宗教の話題を投稿してきました。インド哲学のアドヴァイタ・ヴェーダーンタが特に好きで、バガヴァッド・ギーターをよく熟読しています。

 

 また、仏教の勉強も時々していました。具体的な理屈がある訳じゃないですが、これに関しては書物よりお坊さんから直接聴聞して学ぶ方が良いと考えているので、最低でも毎月1回は寺院へ通っています。

 

 実家が浄土真宗なので、幼い頃から慣れ親しんでいた節もありますが、ちゃんと学びたいと思ったのは小学校高学年くらいから。しかし最近、色んな宗派の方からお話を聞いている中で、「浄土真宗の教義は俺に合わない」と感じるようになり、感銘を受けた真言宗へと改宗しました。

 

 特に好きだったのが大日如来で、「俺の考えと似てる!」と感動し、真言宗の説法をよく聴くようになった訳です。でも、10年近くたった現在になっても、納得できない思想がありました。

 

 それが、輪廻転生。死を体験した事も無いのに、なぜ死後の世界があると断言できるのか。あまつさえ、生まれ変わるだなんて何を根拠に言えるのか。

 

 もっと言うと、先人の思想を受け継いでいるだけで、お坊さんそのものの考えが無いように思えるんです。お坊さんの教えに懐疑的な発言をすると、何かしら返答が来ます。

 

 「〇〇という経典にはこのような事が書かれていて~」

 

 「××という高僧はこう仰っていて~」

 

 それの何が論拠になるのか。お経に書かれているからって真実じゃないし、僧侶の発言が必ずしも正しいとは限らないだろう。「何を根拠に?」という俺の疑問に答えてくれるお坊さんが見当たらない。信ずるに値するかどうかを、数年にわたって吟味してきた。

 

 簡単に人を信じるなんて出来ない。例えば「こういう仏様がいます」と言われても「どこに?」となる。

 

 なんか「拝めばご利益あります」とか言われるけど、「神仏って人にとって都合の良い存在なの?」とか思っちゃうし。煩悩を取り払うとか言いながら、私利私欲の為に神仏を利用してるっておかしくない?って矛盾を感じる。そうやって収入を得てるけど、宗教って金儲けの道具なの?

 

 という事で、このような生活を卒業する事にしました。

 

 宗教を学んだ過去は、俺にとって損や無駄だとは考えていません。むしろ、それが今現在の自分を作りだしているとすら思います。

 

 仏教に対しては色々思いますが、不二一元論は今でも信仰できる、素晴らしく素敵な思想だと感じています。

 

 なんでこれだけは信じているかというと、俺と同じように世界を疑ってかかっている点もそうですが、この教え自体を疑ってかかっても論破できないからです。この教義は真理じゃないかと、そう思えた訳です。

 

 ただ、俺には「信じる」という事を易々としたくないという頑なな意思があります。幼い頃から色んな事を疑ってきたので。

 

 同じく世界に対して疑問を呈する、哲学に興味関心が湧くようになりました。確か、今年くらいから西洋哲学の話題とか記事にしてますよね。

 

 これからはもっと哲学の勉強をしたいなって思っています。

 

 そして、学んだことは逐一ブログでアウトプットしていきます。

 

 という事で、これからそういう話題の記事が増えますよ、という報告記事でした。

 

ではまた!

 

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