チャオ!
レジに人っていらなくね?と思う
ビッグボーイですううう!!!!!
これだからマニュアル人間は・・・
マニュアル人間。この言葉は揶揄するように用いられる印象だ。
知人がコンビニの接客で不愉快な思いをしたらしく、「これだからマニュアル人間は・・・」と吐き捨てた。
確かに話を聞いてみれば、店員のホスピタリティが足りない。言いかえるならば、顧客への思いやりが不足している節があるな、と。先を読んで行動していれば、知人を怒らせる事はなかったはずだ。そういう配慮が足らないから、店内で怒鳴られる事になるのだろう。
これは、店員がマニュアルの言いなりになっていたから起きた出来事だ。そうは言いつつも、俺はマニュアルそのものに対して否定的に思わない。むしろ必要なものだと考えている。
俺が飲食業に勤めているというのもあるのだろう。初バイトも、現在勤めている会社も、全部飲食業だ。俺はこの業界に骨をうずめたいとすら思っているくらい、好きな仕事である。
だからこそ、伝えたい事がある。そもそもなぜ、マニュアルという物が存在するのか。
なぜマニュアル人間は生まれるのか
チェーン店には必ずと言っていいほどマニュアルが置かれており、個人経営の店ですらマニュアルを作って人財育成に活かしている。
なぜ飲食業にマニュアルが普及しているかというと、人生初バイトの学生が多いからだ。
これを読んでいる人も、学生のころ飲食業でバイトした方が多いのでは?
労働に関する経験が浅い若者達への教育には、マニュアルが適している。いわば、教科書なのだ。その場で仕事を教えてメモを取ってもらうのと違い、取りこぼしがなく、復習もしやすい。効率が良く学んでもらう事が出来る。
ただ、それの扱い方を間違えている人がいる。部下を持っている立場の方ですら。
俺が思うにマニュアルとは基礎であり、それが全てではない。手引きに書かれている通りに仕事を行えば良いと思った時、そこにマニュアル人間が誕生する。
俺はマニュアルの存在へは肯定的だが、マニュアル人間には否定的だ。
マニュアル人間2.0
サービス業のマニュアルには、調理のやり方や接待の作法が書かれている。それは会社によって違うだろうけど、基本的な部分は同じ。それが、『QSC』だ。
美味しい料理(Quality)と丁寧な接客(Service)、綺麗な店(Cleanliness)。この3つが、サービス業において大事なところ。逆に言えば、これさえやれば良い。
抽象的に上記を覚え、具体的な部分は各々が活用する。これが、マニュアル人間の上をいくビジネスパーソンだと思う。書かれた行いしかしないようじゃ、AIでも出来る作業でしかない。
冒頭でも書いた通り、マニュアルは基礎。それをいかに応用するかが、クルーとして一歩先を行く、あるいは成長できるキッカケと言える。
例えば、調理法はマニュアル通りじゃないといけない。でも、接客や掃除は自分なりのやり方を見出せる。
俺は調理法だけ覚えて、ホスピタリティや清掃のマニュアルは一切読んだ覚えがない。それはどこの職場でもそう。多分目を通したんだろうけど、記憶には残ってない。
特に、接客だけはマニュアル通りにやっちゃいけないと思っている。あくまで、頭の片隅にでも置いておけば良いだけ。
手引きに書かれている通りの接客じゃ、機械的で人間性が無い。チェーン店が特にそうだと思ってるんだけど、出来るだけクレームを貰わないように作られてる。その考え自体は良いと思うんだけど、それじゃあ『接客』じゃなくて『作業』になってしまう。
人間が人間と接しているんだから、そこに交流があっても良い。むしろ、あるべきだと思う。
例えば、みんなが蕎麦屋に行った時の事を思い出してほしい。接客された事ってあまりないのでは?
それはただ料理を運んだりするような、ただの作業じゃない。本当の意味での接客だ。俺の偏見だが、蕎麦屋で接客された事は殆どないと想起する。それが嫌で、接客がしたいと強く思うようになった。
それは修業時代の話。客席でお客さんと喋ろうとする俺を、師匠が呼び戻す。
「蕎麦職人は厨房から出なくて良いんだよ!」
「俺は人間なんだから、ロボットみたいに働きたくない。それは人格否定と同義だ」
師匠と崇める人にさえ、反抗して譲らなかった。だから、手打ちの修業を終えたら現在の会社へ就職した。理由はこの会話にある。
今の師匠は居酒屋の店長をやっていた方なので、ホスピタリティが高い。ちょうど俺みたいに、蕎麦も接客も大切にしたい人なので弟子入りした訳だ。
現在の店で働いていて、学んだ事。マニュアルを基盤して、個性を活かして応用する。それが、マニュアル人間をアップデートする術だと。