イジメられているかは心の持ちよう

お題「どうしても言いたい!」

 

 職場の先輩と学生自体の話になった。イジメられていたけど気にしてなくて、イジメられているという自覚がなかったという話。

 

 

 俺の場合は、確かにクラスメイトや担任には『イジメ』と捉えられていたが、俺と相手はそんなつもりがなかった、という話をした。

 

 

 いや、厳密に言えば最初の内は「イジメられている・・・」という想念が強かった。でもこんな事で死にたくない、負けたくないという意識もそれほどに大きく、学校には行くようにしていた。

 

 

 そんな時、伝説の教師というドラマを見た。

 

 

 

伝説の教師 VOL.1 [VHS]

 

 

 

 第4話がイジメの回で、自分がイジメられっ子として出演しているかのように感情移入できた。それくらい食い入るように見て、見終わった後日、もう一度みたりした。

 

 

 この回は衝撃だった。3月になるとテレビやネットでは「逃げてもいいんだよ」とか「周りに相談しなよ」みたいなありきたりな言葉を吐く。でも、松本人志のセリフは違った。

 

 

 「イジメられるって事はな、考えようによってはめちゃくちゃ美味しい事やねんぞ」

 

 「この状況を思う存分たのしめ!」

 

 「笑いに変えてまえ!」

 

 

 

 この言葉にものすごく感動した。「被害を受けてる方がイジメと捉えたら、それはイジメだ」という意見をたまに見聞きするけど、それはそうなんだ。俺が『イジメられている』と捉えているからイジメは存在した。

 

 

 伝説の教師を見てから変わった。これはバラエティ番組でいう所の『イジリ』なので俺は今美味しい環境にいるんだと。

 

 

 だから率先してこの状況を楽しむようになった。

 

 

 クラスメイトに私物を取られた時、教室内が静まり返って視線が集まっていた。みんなが俺達に注目している。今しかない。

 

 

 「ちょっとやめてくださいよ~~~!!!!!」と言ってみたら、クラスは笑いに包まれた。とてつもなく嬉しかった。

 

 

 この時期からイジリに執着するようになったと想起する。思い返せば小学生の頃、夢は島田紳助みたいになる事だった。俺は今、クラスメイトを笑わせているんだと。お笑い芸人みたいに人を笑わせられている事が幸せだった。

 

 

 『虐めっ子』とされた奴だって、お笑い芸人みたいに人をイジリたかっただけ。お笑い大好きな奴だったから。俺も、芸人みたいにイジられたかった。

 

 

 この状況は誰も損していないじゃないか。

 

 

 その日から、クラスにイジメは無くなった。「お前面白い奴だな」と言われ他のヤンキーからイジリを受けただけど、放課後一緒にゲームするほど仲良くなった。

 

 

 イジメは、俺が勝手に作り上げていたものだった。クラスにあった『イジメ』を無くしたのは教師でもカウンセラーでもない。虐められていた俺自身だ。

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