刺激中毒

今日が命日でもいいように、過去を悔やまず、未来を恐れず、現在を生きる。

昨日、蕎麦屋を退職しました。

 お題「わたしの記念日」

 

チャオ!

 

虚脱感にさいなまれる

 

ビッグボーイですううう!!!!!

 

 

 燃え尽き症候群にならない為には、次に打ち込むものを見つける事が専決ですよね。

 

 さて、今まで書いてこなかった事を、正直に発信したいと思います。嘘偽りはありません。今までため込んでいた物を、この記事で吐きださせてください。辞めたら絶対この記事書くって決めてたんで(笑)

 

 

 執筆している現在、2019年12月9日20時50分。さっき蕎麦道具を家に持ち帰り、退職しました。もうこの蕎麦打ち部屋へは来ないのかと思うと、名残惜しいものがあって、半泣きになってしまいました。

 

 辞める意思は14日以上前から告げていたので、法律上の問題はありません。ただ、道徳的には問題があるでしょう。それがどちら側にあるのか。あくまで俺の主観から、在籍期間中の全てを記します。読者の皆さんはどう判断するでしょうか?

 

 

 度々ブログで記録している通り、師匠から何度か「お前なんか居なくても店はまわる」、「クビにできるんだぞ」と言われてきました。

 

 そんな発言をさせてしまうほど、仕事の出来ない俺に問題があります。でも、言い訳になるかもしれませんが、俺は頼まれて働いている身です。俺が必要ないというのであれば辞めてもいいんですよ。でも、退職する前に俺は全力を出し切りたいと思い、その姿を見てもう一度評価をしてもらおうと考えました。

 

 ちょっと脱線するかもしれませんが、頼まれた経緯を書きます。師匠のお父さんが始めた店なんですが、後を継ごうにも手打ちを一回もしたことがないという事で、他所の蕎麦屋で3年修業していた俺を、一人の蕎麦職人として雇うと言ってくださったんです。

 

 仕事をする初日の開店前、「お前は今日からプロになるんだ。趣味だった頃のようにはいかないぞ。お前の蕎麦にお金を払ってもらうんだから、プロ意識を持ってもらわないと困る」と言われました。

 

 その場面は今でも鮮明に覚えています。自己実現が出来たつもりになって、本当に嬉しかったんです。

 

 それから3週間経った頃に、最初の「お前をクビに出来るんだぞ」発言が出ました。この時に関しては俺に非があったと思っています。お品書きを覚えるのや閉店作業が一番遅い。要は仕事が出来なかった。あまつさえ、何かに没頭していると周囲の声が聞こえなくなって返事をしなかったり、挨拶もハキハキしていないとか、何も出来ない人間だった。だから怒られて当然だと思います。でも、俺が残念だったのは、「あいつは仕事が出来ない」とかを近所の飲食店で言いふらしたところ。そこまでする必要ありますか?

 

 その時はまだ、悔しさをバネに仕事へのめり込みました。原因は俺にあり、改善するのは俺の努力次第だと、自分に言い聞かせて。

 

 1年経つまでに同期が全員辞め、俺が一番の古参になりました。その頃にはホールもキッチンも一通り覚え、平日は一人で店を回す事が多々ありました。俺は『蕎麦屋を任されている』という事に喜びを感じて頑張れました。上記の通り、クビにされるかもしれないほど仕事が出来ない人間だったのに、今はワンオペで回しているんだと自画自賛しながら。

 

 ここでまた残念な事が起きます。師匠が店に戻ってきた時、某ファーストフード店のドリンクを手にしていたんです。

 

 「ああ、俺に店を任せている間、この人は遊びに行ってるんだ」

 

 他にも、仕事中に友達と長電話する為に店を出た事もありました。仕事関係ならまだしも、「次の飲み会いつにする?」とかの話題が聞こえてきて、なんか、尊敬の念といったものが崩れ始めたんです。あまつさえ、仕事中にビールを飲み始めて、支離滅裂な発言をしだした事があります。これが、俺へ「プロ意識を持て」と叱った人に見合った言動なんでしょうか?

 

 まだ話はあります。2年目の頃。学生バイトが増え始めたんですが、前髪を三角巾から出している者が居て、「あれはやめさせるべきだ」と師匠へ言いました。その時の返事は覚えていないのですが、師匠がそのバイトへ注意する事はありませんでした。

 

 そのせいで蕎麦に髪の毛が混入した事が多々ありました。俺が先輩としてちゃんと注意すべきだったと後悔しました。

 

 言い訳をしてはならないかもしれませんが、これについて一つ言わせてください。俺が後輩を持つのはこの職場が初めてなので、師匠に何度か「後輩のコレは叱るべきですか?」と指示を仰ぐ事があったんですが、返事はいつも決まって「ここは俺の店なんだから俺のやりたいようにやらせろ。お前は先輩面するな。俺の言う事だけ利いていればいい」

 

 師匠は放任主義というより、ただのほったらかしでした。学生のアルバイトは俺より仕事の経験が浅いので、指示待ち人間です。何もわからない状態。でも、そうなってしまうのは、店のシステムに問題があると思っています。彼らが悪いんじゃない。この店にマニュアルは用意されていないので、仕事をどうこなしていいか把握できないんですよ。なので、先輩がちゃんと指導すれば改善されると思ったんですが、その様子を見た師匠から上記の言葉を貰います。

 

 師匠がマニュアル人間を嫌っているのは聞いていました。確かに俺もそういった人を良しとはしませんが、飲食業において、マニュアルには存在意義があります。効率よく仕事を熟し、生産性を上げる必要がある。ここはマニュアルが無い事で有名な某喫茶店じゃない。他所の蕎麦屋に比べて客席が倍以上ある規模の大きな店だし、観光地に店舗を構えているので、より良い店にするのにマニュアルは必須なんです。

 

 これは師匠にも言いました。でも、否定されました。ですが事実どうでしょう。土日のピークタイムになるとバイトはテンパってサービスタイムが遅れ、回転率は下がり、クレームを貰う。この現状を改善するには、マニュアルを用意して徹底させる必要があると再三言いましたが、聞き入れてもらえませんでした。

 

 そもそも、師匠は飲食業のマニュアルを知りません。外食産業のマニュアルは『QSC』と呼ばれるものを基盤に形成されています。クオリティ・サービス・クレンリネス。師匠にこの話をした時、「何それ?」と返されて、正直呆れてしまいました。

 

 あまつさえ、3番目のクレンリネスが酷かった。素人目にもわかるほど出来ていない。なのに、上記の返事をした後に付け加えて「わけわからん英語なんて知らなくても、俺はそれが出来ているから良いんだよ」と言われ、余計呆れたのを覚えています。なぜなら、出来ていないからです。

 

 まず、開店前に店の掃除をしない。店を開けるまで別室で蕎麦を打っているので、誰かがやってるもんだと思っていたんです。なのに、バイトが来る土日は誰もやっていない。汚い店でお客様に蕎麦を食えって言うんですか?

 

 それに気付いてからいつもより早めに出勤し、店の掃除をしてから蕎麦を打つようにしました。これを近くで働いている人達に見られ、師匠へ告げ口。案の定、怒るんです。

 

 「朝早くから働かれたら、俺が扱き使ってるみたいになるだろ」

 

 なりません。俺が自主的にやってると言えばいいだけの話。内心そう思っていました。そして、師匠は付け加えてまたこの言葉を使う。

 

 「俺の言う通りにしていればいいんだよ」

 

 確かに、従業員は店長が理想とする店づくりの要因になるべき。それに、上司の許可を貰わず勝手に色々仕事をしようというのは、師匠からしてみれば迷惑だったんだと思います。ですが、この現状が本当にあるべき蕎麦屋なんでしょうか?

 

 テーブルの下に食べこぼしがあっても、バイトや師匠はほったらかしですから、俺がキッチンを担当していながらも、ホールに出て店の掃除をする必要がありました。ですが、そうするとサービスタイムが遅れてしまうので、今度は師匠の判断をきかずにバイトへ「机の上拭くだけじゃなくて、側面もちゃんと拭いてほしい。お子さんが食べた後はここが汚れていたりするから。あと、食べこぼしがないかの確認もしてほしい。お客さんの衣服を汚さないように」と。ですが、彼らが言う事をきかなかったのは、俺の人望が無い事を表しています。

 

 

 次に話す事は、俺が間違っていたと反省している部分です。家族への親孝行に旅行がしたくて、ゴールデンウィークに休みが欲しいとダメ元で申し出たんです。年に1回、その日しか開催されないとある行事に参加させたくて。

 

 意外にも二つ返事で許可が出たので休日を楽しんでいたんですが、いざ職場へ戻ると、「お前が居ない方が店は上手く回ったよ」、「お前なんて居なくてもこの店は回るんだよ」と言われました。その言葉を発していた時の表情は、今でも脳裏に焼き付いています。

 

 ただ、これに関しては俺が悪かったと感じています。飲食業に勤めていながら繁忙期に休むのは良くないし、上記の話にもある通り、勤務して2年経っていながら、後輩との信頼関係が築けなかった。そんな奴が偉そうに師匠に対して「あるべき蕎麦屋」とか語っていること自体がおこがましくて、恥知らずなんだ、と。

 

 情けない話です。俺はこの店に何を残せたんでしょうか。俺は「こうすればこの店はもっと素晴らしくなる!」と主張していたんですが、師匠からすれば迷惑でしかなかった。空回り。

 

 事実、師匠は俺に関する事を知人友人に言いふらしているんですが、「みんなお前のこと『クビにするべきだ』、『雇っている意味なんてない』って言っているよ」と。この話は幾度となく聞きました。付け加えて、「俺がお前を雇い続けてるのは情なんだよ。お前にはここで成長してほしい」

 

 それからしばらくして、自分の中でどうしたらいいのかわからなくなった瞬間がありました。なので俺はどう変わるべきか訊いたら「それは自分で考えろ」と返されました。でも、「お前は思いやりの心を持つべきなんだ」と助言をくれました。

 

 3年目くらいになると、後輩のダメ出しをせず、良い部分を褒めるように意識しました。バイトの短所は俺が補填すれば良い。彼らの得意分野を伸ばせるように考えようと。ホールが得意な子はそこで成功体験を積ませて、クレンリネスの意識が高い人には掃除や整理整頓を任すように。

 

 その日のシフトを加味して、後輩が苦手そうな仕事は俺がやる。そういった事を意識するようになったら、仕事に関するアドバイスを求められるようになったり、今までなかった後輩との雑談も増えました。それまでは平日だけ店を任されていたんですが、土日でも店を回すよう頼まれたのはこの頃です。

 

 でも、この時点ではまだ成長を認められません。3年目になっても「お前は仕事が出来ない」、「まだ若いんだから伸びしろがあるんだよ」と何度か言われています。そして再び俺の話を言いふらしたと言い、「皆クビにしろって言ってたよ」と。その時に訊きました。

 

 「俺の悪口を言いふらしてるんですか」

 

 「これは悪口や陰口じゃねえよ。事実を言ってるだけ」

 

 思いつく限りの事はやったつもりになってしまって、行き詰ったので飲食業の先輩へ相談しに行きました。その人は、師匠がやっていた別の飲食店で働いていた人です。このブログに度々登場した『兄弟子』。あとは、師匠と長年関わりのある人の所へも行きました。これも飲食の先輩。

 

 酔った勢いで愚痴を漏らしていたのを覚えています。店を出た後、師匠から着信。どうやら先輩が「あいつがこんな事を言っていた」と伝えたようです。師匠は激怒していて、「俺の話を色んな所で言いふらしてんじゃねえよ」と怒鳴りました。謝ると「すいませんじゃねえよ。もう二度とやるな。わかったな?」

 

 次の日、店を開ける前に師匠はこう言いました。

 

 「昨日やった事はもう二度とするな。俺の事が気に食わないなら辞めてもらって構わない」

 

 

 自分の中にあった何かが壊れた瞬間がありました。今週の日曜日です。

 

 師匠は蕎麦屋以外にも飲食店をやられているんですが、そこで働いている年下の学生バイトがヘルプで手伝いに来てくれました。ですが、なぜか俺に名乗りもしないし挨拶もしない様子。目が合ったのに無視された。

 

 ただ、師匠へ「後輩から名乗るもんだっていう固定観念は捨てろ」と言われているし、兄弟子からも「礼儀は先輩が教えるんだよ。お前から挨拶をしろ」と叱られているので、それを実践しようと近付いた時、その子は別のバイトと喋っていたんですが、会話が耳に入りました。

 

 「あの人が〇〇か」、「あぁ~、あの人ね」と笑っていた。なぜか俺の名前を知っている。その瞬間、察したんです。師匠は別店舗でも俺の陰口を言っているんだ。これが「思いやりを持て」と言っていた人がやる事なのか、と。

 

 確かに、年下から見下されるような言動をしている俺に原因があるんだとは思います。でも、だからと言って、人の悪口を言いふらして良い事になるのかな?

 

 

 そして今日(12月9日)、師匠へ事実確認をしました。悪びれる様子もなく、「言ってるよ」と認めました。「腹立ってるんですよ。そういうのやめてほしい」と語気を強めて行った時、「そこまで怒るとは思わなかった。お前がそう思うとは解らなかった」と返され、今までため込んでいたものをブチ撒けるように怒鳴りました。

 

 「解からないって言ってること自体が解からない。俺が呑みに行った時のこと思い出してほしい。そこで愚痴を漏らした時、怒鳴ったじゃないですか。あれ、仕返しのつもりでやったんです。

 

 俺が今まで約3年間やられてきた事を1度やっただけなのに、あんなに怒るんだって思った。だって、前に陰口言うのやめてほしいって言った時、『悪口を言ってんじゃなくて、事実を言ってるだけだから』って返したじゃないですか。俺だってそう。事実を言っただけなのに、師匠は次の朝になっても怒ってて、『事実でも人が傷つく事を言いふらすな』って言った。

 

 そんとき正直思った。『どの口が言うとんねん』って。自分がされたら怒る事を人にしてんのに、俺の気持ちが解からない!?」

 

 飲んで愚痴を言ったのは、こうなるとわかってやったんです。後付けじゃなく、この日の為にやったと言っても過言ではありません。

 

 先輩はどちらも師匠と友好関係にある人なので、恐らく喋るんだろうな、という先も見えてました。それでも師匠の話をしたのは、「やめて」って言っても伝わらなかったので、同じ事をして返してやろうというガキみたいな考えがあったからです。今思い返すと、感情的な動機でした。

 

 それと、高ぶって後半からタメ口になっていたのは反省してます。あと、めっちゃ早口で言いました。

 

 「大人げなかった。お前の言う通り俺が悪い」と、師匠は初めて頭を下げ、俺へ謝りました。俺の方も大人げない言い方をしてしまったと反省してます。

 

 続けて、師匠はこう言いました。確か「言える立場じゃないけど」みたいな前置きがあった上で。

 

 「お前には助けられてきた。感謝してる。お前が居るから蕎麦が打ってもらえて店が回ってるし、辞めたいって聞いてるけど、本当の事を言えば、お前にはこれからも働いていてほしいって思ってる。だから助けてほしい。もう二度とこのような事はしないって約束する」

 

 「俺の居ない所で悪口言ってる人に『感謝してる』とか言われても、そんな言葉安っぽいだけですよ。心に響かない」

 

 今日、「お前が居るから店が回ってる」と言われましたが、真逆の事を今まで散々言われてきました。あまつさえ、「クビにする」と幾度となく言われてきたんです。そんな人が「助けてほしい」、「もう二度としない」って?

 

 「辞めてもらっても構わない」とすら言われてきたんです。なのに俺がいざ辞めるって言ったら、何度も何度も引きとめてきました。無理です。

 

 今まで約3年間も罵詈雑言を何度も浴びせておいて、明日からも働いてほしいと言えるなんて驚きです。

 

 そんな人が「陰口を言わないと約束する」とか、呆れてものも言えない。もう師匠の言葉は信用できません。完全に信頼関係は崩れました。

 

 

 この会話の前、何かの文脈で「俺は謝罪の言葉より『ありがとう』とか感謝の言葉を言っていたいんよ」と言っていました。このあと謝ることになるとは皮肉なものです。

 

 確かに、そういった優しい言葉で人を救えると思います。その逆もまた然り。言葉は時として人を傷つけうる。その事を師匠には解ってほしい。

 

 師匠は「考えろ」とよく言います。「お前がこの店で一番考えられてないんだよ」と言われた時の顔は、今でも忘れられません。でも、本当にそうでしょうか?

 

 店の掃除すら出来ない人の口から「お前は店の事を考えられていない」なんて言われるとは、思ってもみませんでしたよ。

 

 いつだったか、「こないだ呑みに行った時、お前が使えねぇって話で盛り上がったんだよ」や「お前の代わりなんていくらでもいる」、「後輩のバイトの方がよっぽど使えるよ」と言われました。

 

 そりゃ、堪忍袋の緒が切れますよ。今まではヘラヘラしながらやり過ごしたけど、もう我慢の限界だった。だから、社長に対して偉そうかもしれないけど、立腹して威圧する様に大声を出してしまった。

 

 そしたらこう返されたんです。「この店の蕎麦を任せられるのはお前だけなんだ。他に居ない。許してほしい」って。笑わせんなよ。

 

 明日から、師匠は「自分で蕎麦を打つ」と言っていましたが、そうしたら良いと思います。正直、偉そうな物言いになりますが、師匠は蕎麦打ちに関して素人。あくまで経営者。蕎麦打ちに関しては、5年やってる俺と経験の差がある。だから、明日からの蕎麦は今までと変わるのは確実。お客さんからの評判も変わるでしょう。なので、これから営業していく中で、自分がしてきた事を慮ってほしい。

 

 手垢が付いた表現ですが、『言葉の重み』っていうのを解かってほしい。俺へ「もっと考えて生きろよ」と言ってきたアナタこそ、言葉について考えてほしい。そして俺も、今までに増して、言葉を意識していく。

 

 あと、もっと人望ある人間になればよかったな。こうして今までを思い返してみると、俺にはそういった面が欠けていた。

 

 (2019年12月10日2時25分 所要時間約5時間)

 

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