【世界一ゆるい哲学入門】西洋思想3000年がざっくりわかる!

お題「最近知った言葉」

 

チャオ!

 

知を愛する

 

ビッグボーイですううう!!!!!

 

 

まえがき

 

 今回は俺が一番ハマっている学問、哲学の西洋思想について、古代から近代にかけて一挙紹介。この分野が一番筆が進む。

 

 まず最初に、参考文献はこちら。

 

  

 

 

 世界一ゆるい哲学では、古から今に伝わる哲学を『河』に例えています。その流れを知った上で、現在を生きるアナタは何を想うでしょうか?

 

 最後までお付き合いください。

 

 

それでは、授業をはじめます

 

 

同じ河に足を踏み入れても、流れる水は常に変わっている。

――ヘラクレイトス

 

 

タレス

 

https://1.bp.blogspot.com/-4fX-G94Fh8Y/VSufVJlotGI/AAAAAAAAs54/pSPDajXYcDk/s400/nigaoe_thales_taresu.png*1

 

 哲学が生まれるまでは、森羅万象、様々な事柄は神の仕業であると考えられていました。今ほど科学が発展していなかった古代では、自分の理解を超越した事象を「神」の一言で片付けていたんですね。

 

 しかし、そのような現状に一石投じる人物が現れます。『最古の哲学者』とも呼ばれる、記録に残っている中で一番古い哲学者、タレス

 

 彼はその神話的説明に納得できず、自然を観察する事で答えアルケーを導き出そうとしました。その上で辿り着いたのが、だったんです。

 

 万物の根源(アルケー)を水と考え、存在する全てのものがそれから生成し、それへと消滅していくものだと考えた。そして大地は水の上に浮かんでいるとした。世界は水からなり、そして水に帰るという説を唱えたのだった。*2

 

現代人からしてみれば「はぁ?」って話ですね

 

当時は斬新な思想だったんです。そうやって哲学は試行錯誤を繰り返しながら、少しでも真理に近付こうとしています

 

 そして、と相反するアルケーを見出した人物が居ました。

 

ヘラクレイトス

 

 「この世界は流転している」という考え方があります。仏教でいう『無常』と概念が近く、同一とも言えるのでは、と筆者は考えております。

 

 その万物を支配する理法を『ロゴス』と呼びます。

 

アリストテレスによれば、ヘラクレイトスは「万物の根源(アルケー)」を火と考えたという。これは、「アルケーとは何か」を考えるミレトス学派の一人として彼を捉える考え方である。

 

確かに、彼は「ロゴスは火である」と書いている。しかし、注意しなくてはならないのは、彼はミレトス学派と違って火が「万物の根源(アルケー)」と主張したわけではないということである。あくまでも「ロゴス」であり、火から万物が生成される(アルケー)、と主張したわけではない*3

 

 この世の真理に火を重ね合わせる姿は、不動明王に似ています。お不動さんを本尊として祀る寺では、『不動明王は火の化身』と話し、『火は真理の象徴』と説きます。

 

 彼に著書があったらしい事は記録に残っていますが、現物そのものは現存していません。他人が引用したその一部から彼の思想が垣間見えるだけ。なので、はっきりとした事はわからないのですが、筆者的には不二一元論(後述)に似た考え方だな、と感じ取れました。

 

 「万物は一である」とも「一から万物が生まれる」とも述べ、哲学史上初めて、「根源的な一者」と「多くの表面的なもの」との関連を打ち出した人物としても注目されている。*4

 

 因みに、参考文献の中においては、哲学の河を渡る主人公として描かれています。最古の哲学者タレスではなくヘラクレイトスを選ぶあたり、恐らく著者マイケル・F・バットンからしたら、偉大な哲学者の一人として数えられているのでしょう。

 

ジョン・スチュアート・ミル

 

 功利主義自由主義リバタリアニズムに多大な影響を与えた人物と知られています。リバタリアニズムに関してはこのブログで何度か扱っているので、興味ある方は下のリンクを押してみてください。

 

 

juliajewelkali.hatenablog.com

juliajewelkali.hatenablog.com

juliajewelkali.hatenablog.com

 

 

 功利主義に関して端的に言えば、少数派の苦痛よりも多数派の幸福を重要視する思想。『最大多数の最大幸福』が彼らのスローガンで、それを実現できる社会を目指しています。

 

理想的で、かつ魅力的な思想だね

 

文字面だけ見るとそう受け取れるかもしれません。しかし、欠点があるのです

 

 マイケル・サンデル(後述)も批判していましたが、功利主義の立場からいえば時として拷問を肯定する事になる訳で、そこに道徳はあるのか?という疑問が残ります。なので筆者が嫌悪する思想の一つなのです。

 

 しかし、俺と共通する考えをミルが持っている事もまた事実です。

 

 ミルの『自由論』は個人にとって自由とは何か、また社会(国家)が個人に対して行使する権力の道徳的に正当な限界について述べている。『自由論』の中でも取り分け有名なものに、彼の提案した「危害の原理」がある。「危害の原理」とは、人々は彼らの望む行為が他者に危害を加えない限りにおいて、好きなだけ従事できるように自由であるべきだという原理である。この思想の支持者はしばしば リバタリアンと呼ばれる。リバタリアンという言葉が定義するものは広いが、通常は危害を加えない行為は合法化されるべきだという考え(=「危害の原理」)を含む。現代において、この「危害の原理」を基盤に幾人かのリバタリアンが合法化されることを支持するものとしては売春や現在非合法の薬物も含めた薬物使用がある。*5

 

リバタリアニズム。他人に危害を加えていない限り、個人は自由であるべきっていう思想ね

 

この考えは非常に共感しますが、欠陥があることも認められます

 

 これも同じくマイケル・サンデル氏から批判されている事ですが、リバタリアニズムは臓器売買までも肯定するので、そのような社会が実現されたら秩序が乱れる事と想定されます。

 

 つまりは功利主義と同じく、道徳に欠ける思想と言えます。それを自覚したからこそ、もっと勉強せねばならんと思い、哲学の記事を投稿している訳です。

 

ミルから学べることは、『自由=正義』とは言い切れないってことね

 

ルネ・デカルト

 

https://1.bp.blogspot.com/-B_SmsJKxqdA/WKbKtSgJJtI/AAAAAAABB2U/06hFT_ctpNcdw2PB__IlISnkiL3zOV-PQCLcB/s400/nigaoe_descartes.png*6

 

 さて、ここまで何人も哲学者を紹介しましたが、どれも現代人からすれば疑問の余地が残る理論ばっかりですよね。

 

 しかし、そうやって疑う姿勢は間違っていません。むしろ哲学において肯定されるというか、そもそも哲学とはそういうものなのです。

 

 最古の哲学者タレスからそうです。当時は広く普及していた宗教の教義に疑問を呈し、自分なりに真理を見つけようとしました。

 

 つまり、哲学者とは懐疑主義。その中で有名な、万物を疑った哲学者こそ、デカルトです。

 

 

『〇〇は疑わしい』

 

 

 この命題の『〇〇』にありとあらゆる言葉を当てはめると、どれも成立する事がわかります。『宗教は疑わしい』、『科学は疑わしい』、『世界は疑わしい』――

 

 森羅万象、何もかもに実は確実に存在するという確証が無いのです。しかし、ただ1つだけ成立しない単語がある事をデカルトは発見しました。それが、「私」です。「私は本当に疑っているのか?」と考えている事自体が、自分自身が存在することの証明。

 

 世界そのものに疑問を呈してみれば、「この世は本当に存在するのか?」という疑問に確実な解答が無く、夜も眠れなくなるかもしれません。ですが、「私」だけは絶対に存在する。これは確実です。

 

 つまり、この世は水槽の脳みたくバーチャルリアリティだったとしても、胡蝶の夢みたく夢幻だったとしても、疑っているところの「私」だけは存在する。これが、有名な"我思う、ゆえに我あり"です。

 

この考えは後述する不二一元論に繋がってくるので、覚えておいてもらえると幸いです

 

ジョージ・バークリー

 

https://1.bp.blogspot.com/-EHz4NafT8hI/W1a5AHtq8XI/AAAAAAABNjQ/9O2RMjIRuPgHuujBWBI6O7fSJ0NDLTMyQCLcBGAs/s400/nigaoe_george_berkeley.png*7

 

存在することは知覚されることである

――ジョージ・バークリー

 

  彼の思想は観念論。端的に言えば「この世界は観念そのものである」

 

 例えば、『存在』ってなんでしょう。アナタは今これを読んでいるから、この記事がネットの海を彷徨う記事だとわかります。

 

しかし! 考えてみてください

 

 もしアナタがこのブログを人から教えてもらう事もなく、ネットサーフィンで辿り着く事もなく、全く認識せずに過ごしていたとしたら、アナタにとってこのブログは存在するのでしょうか?

 

 アナタが見ている世界は、アナタが知覚したもので出来ています。

 

 もしかしたら読者の中には「世界は素晴らしい!」と楽観主義を味わっている方がいるかもしれませんし、「この世界は地獄だ」と悲観主義に苦しんでいる方もいらっしゃるかもしれません。

 

 どちらも、その人にとって事実です。各々が知覚した観念の束がその人の世界を創りあげているのですから。

 

 そして、観念の根本的な原因については人知を超えています。冒頭でも触れた通り、古くから人類は自分達の理解を超越した事柄を「神」という言葉で片付けていましたが、ジョージ・バークリーもその1人です。

 

 しかしここで先入観を取っ払って欲しいのが、『神=人格神』ではないという点です。ヒンドゥー教にみられるような、無形の神として受け取ってください。

 

 ここの前提について共通の理解を持っておかないと、思想を理解するのは難しいでしょう。

 

わたしの心は一つであり、分割することはできず、これ以上延長することもできず、形もない。ゆえに私のこころは不滅であり、これは実体である。わたしの目の前の机もわたしの身体も世界すらもわたしが知覚する限りにおいて「わたしの心の中に存在する」のであって、実体とは、このような同時的なる観念の束(英: bundle or collection of ideas)であり、その原因は神である。彼は物質を否定し、知覚する精神と、神のみを実体と認めた。*8

 

 彼は哲学者でありながら聖職者だったので、魂は永遠に不滅であり、神は確実に存在するという証明を行いたくて、こうした理論を築き上げたのかな?と思いました。

 

 そしてもう一つ感じたのは、彼もまた不二一元論に近しい思想を持っているところ。

 

まだざっくりとしてか彼の考えを学んでいませんが、今のところこの思想は好きです

 

プラトン

 

https://4.bp.blogspot.com/-wKE2eJO3r4c/WKbKuWJAEvI/AAAAAAABB2Y/u1lfOE_OyG0G_XHxUl89h7v577UeCSQdgCLcB/s400/nigaoe_platon.png*9

 

 著作を行わなかったソクラテスの代わりに執筆を行った事で有名なお弟子さんです。

 

 彼はイデア論を唱えました。これをわかりやすく説明するのによく用いられる例え話を紹介しましょう。

 

 何でも良いので図形を思い浮かべてください。ここで質問なのですが、なぜ人は完璧な図形を見た事が無いのに、想像する事が可能なのでしょうか?

 

 四角形のノートや丸い煎餅、三角のお握りなど。それらを図形を使って表現できる事はわかっています。でも、現実世界に『完璧な図形』と呼べるものは実在しないんですよね。

 

ノートの端はよく見たら歪んでるし、お煎餅だって綺麗な丸じゃない。お握りの形もいびつだ。なのに、完璧な図形を思い浮かべられる・・・

 

これを説明するのに、プラトンは『イデア』を提唱しました

 

 要は完璧な世界の事で、それは非物理的であるとされています。そこから現実の、物質的な自分がイデアを受け取る事で、完璧な図形を想像する事が可能である、と。

 

頭の中にクエスチョンマークが連発している方も多いでしょう

 

 ここで、次の哲学者が残した名言を紹介します。

 

心の中に観念がなければ、何も教わることはできない*10

 

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ

 

ライプニッツが問題とするのは、「なぜこの世界が存在するのか」という疑問である。

 

我々の生きる世界は存在している。このことは、永遠の真理ではなく、事実の真理である。つまり、世界は存在しないことも可能であったのに、なぜか存在しているのである。*11

 

 この世界が在るなら、根本原因も在るはずです。何らかのキッカケで世界は誕生したんですから。

 

 そして、「その原因こそ神である」とライプニッツは主張しました。これを、『神の存在証明』と呼びます。

 

 前述の通り宗教に疑問を呈するように哲学は生まれましたので、聖職者達や信者も立ち向かえるよう理論を築き上げなければならなかったんですね。

 

 「何を根拠に神は在るだなんて言えるんだ?」と問われて言い返せないようじゃ、その教義は破綻しているということですから。そこで登場したのが、下記の理屈。

 

  1. 世界は極めて複雑な物理法則や因果関係から成り立っている。
  2. このような複雑な世界が、自然に発生したとは考えられない。つまり、「何者か」がこの世界を創造したのだと考えるのが自然である。
  3. その「何者か」とは、に他ならない。
  4. よっては存在する。*12

 

 他にもまだまだ『神の存在証明』は存在します。ただこれらは、批判の余地が無いと言えるほどの完璧さはありませんでした。「その"何者か"は何よって作られたのか?」という無限後退に陥り、究極の真理に辿り着く事は出来ません。

 

つまりは、哲学者を納得させる事など出来なかった訳ですね

 

しかし、別角度から理論を提唱した哲学者が現れるのです

 

バールーフ・デ・スピノザ

 

  デカルトの思想は前述の通りですが、スピノザ『我思う、故に我在り』を上手く利用して神の存在を証明しようとしました。

 

 デカルトの言う通り、この世で確実に存在するとは言えるのは自分だけ。そこで『個人は多面的な神の側面である』と主張する事により、神は実在するのだと唱えるようになりました。

 

 このような思想を、『一元論』と言います。自分も自然も一つである、と。そこに神の概念も加えたものを、『汎神論』と呼称されています。

 

「自分も世界も存在するだろう。でもそれら森羅万象は人知を超えている。つまりは神なのだ!」と主張している訳ですね

 

スピノザの汎神論は、神の人格を徹底的に棄却し、理性の検証に耐えうる合理的な自然論として与えられている。スピノザ無神論者では決してなく、むしろ理神論者として神をより理性的に論じ、人格神については、これを民衆の理解力に適合した人間的話法の所産であるとしている*13

 

 『人知を超えたもの=神』なので、そういった概念・観念としての神であれば確かに、と思います。でも筆者が思うのは、ここで思考停止しちゃならんな、ということ。

 

因みにスピノザライプニッツは自由意思を否定していますが、アナタはどう捉えますか?

 

参考となる哲学者を紹介しましょう

 

デモクリトス

 

 『笑う哲学者』というカッチョいい異名で知られるこの人物、『原子論』を唱えた事で有名です。

 

自由意思に関する理論、決定論について、参考文献から引用します

 

これは非常にわかりやすく、ビリヤードに例えられます

 

決定論について知るべきことは、この玉つき台の上にある。この手球をつけば、すべてのボールの運命が動き出す。物理学の教え通り、テーブルの上にタバコの吸い殻でも不意に落ちてこない限り、それぞれのボールの軌道は数学的に決定されているんだ!*14

 

毎晩空を見ていると同じものが見える。惑星と恒星は予測できる軌道にあり、ビッグバンの時代からそれは変わりない。それと同じで、宇宙のすべての原子は予測可能な軌道を描く。そして君も原子でできているから、決定論者たちの手の平の上で踊らされているんだ。*15

 

 つまりは原子などを詳しく解析・分析して把握することによって、未来予測は可能であるという理屈です。ラプラスの悪魔と呼ばれる奴ですね。ですが、この理論は現在の科学によって否定されています。

 

 この著書では、「決定論・非決定論どちらを支持しても、最終的に『自由意思はない』という結論に辿り着く」という主旨が記されています。

 

 「そういや自由意思とは何なのか?」など、そもそも論になってきます。この分野にまつわる議論は恐らくこれからも永く続いていくことでしょう。

 

ここまで考えてきて、アナタは何を想ったでしょうか?

 

大事なのは『これからをいかに生きるか』だと思う

 

それに関して参考になる、偉大な哲学者がいてね・・・

 

ソクラテス

 

https://3.bp.blogspot.com/-lEHqMVOWaoM/WD_cVZQHSAI/AAAAAAABADg/fyZKYa-B-0QS7V0KvuyZcu429SmcU5fygCLcB/s400/nigaoe_socrates.png*16

吟味されない生は生きるに値しない*17

 

 思考停止せずに思慮を巡らせ続ける事が、この人生を謳歌している事になるという事です。考えるのを辞めて生きる時、人は野蛮な生物へと成り下がってしまうから。

 

  因みに彼の思想として有名な無知の知ですが、この考えが生まれるに至った経緯は、ソクラテスの弟子が神託所に居る巫女へ「ソクラテスより賢い奴おる?」と訊いたところ「いないよ」と返ってきたなんて聞いて「そんなわけないやろ」と思ったから。

 

 そこで、自分より賢者だと思える人々へ質疑応答を繰り返していたところ、結局のところ皆なにも知らないと解かり、「頭良さそうにしてる奴より、無知である事を自覚している私の方が知恵がある」と、神託の意味を解釈するようになったそうです。

 

 もちろん、相手からは反感を買います。あまつさえ若者達もソクラテスの問答法(産婆術)を真似しだしたことで「若者を堕落させた」と公開裁判にかけられ、死刑を言い渡されました。その一部始終を綴ったのが、かの有名な『ソクラテスの弁明』です。

 

クリトン、プラトンらによって逃亡・亡命も勧められ、またソクラテスに同情する者の多かった牢番も彼がいつでも逃げられるよう鉄格子の鍵を開けていたが、ソクラテスはこれを拒否した。当時は死刑を命じられても牢番にわずかな額を握らせるだけで脱獄可能だったが、自身の知への愛(フィロソフィア)と「単に生きるのではなく、善く生きる」意志を貫き、票決に反して亡命するという不正を行なうよりも、死と共に殉ずる道を選んだとされる。*18

 

 哲学を意味するギリシャ語『philosophia』(フィロソフィア)は日本語で『知を愛する』

 

 何かを知っているように思えて、実は何も知りません。だからこそ人々は学び続けるべきだし、何かを知った時の喜びを大切にすべきなのです。それが人生を豊かにするでしょう。

 

ソクラテスの思想は、内容的にはミレトス学派イオニア学派)の自然哲学者たちに見られるような、唯物論的な革新なものではなく、「神のみぞ知る」という彼の決まり文句からもわかるように、むしろ神々への崇敬と人間の知性の限界(不可知論)を前提とする、極めて伝統的・保守的な部類のものだと言える。「はかない人間ごときが世界の根源・究極性を知ることなどなく、神々のみがそれを知る、人間はその身の丈に合わせて節度を持って生きるべき」という当時の伝統的な考え方の延長線上に彼の思想はある。*19

 

 

ソクラテスの言う『善く生きる』って具体的になんだろう?

 

彼はアレテー(徳)を提唱していたけど、具体的にどんなものかはわかっていない

 

 なぜなら、ソクラテスの思想をまとめたのは弟子のプラトンだから。ソクラテス自身が筆を執って考えを綴る事はなく、現実での対話を重んじていました。

 

一応、紹介だけはしておきます

 

  • 知恵
  • 勇気
  • 節制
  • 正義

 

 これから4つを元徳と呼びます。上記の通り具体的に何をアレテーとしていたかは、ソクラテスなき今、真相が闇に葬られた状態です。

 

なので次は、現代の哲学者を紹介します

 

これからの「哲学」について、話し合う為にね

 

マイケル・サンデル

 

 古代から近代にかけての哲学者を一挙紹介してきました。ここまでの哲学の旅はいかがだったでしょうか?

 

 大事なのは、ただ学んで面白いというだけじゃなくて、それをいかに活かすかだと思います。

 

 色んな考えの人が居て、肯定や否定をしたくなるような事柄が次から次へと出てきたと思いますが、そうした過程で少なからず自分の考えが確固たるものに近付いてきたのではないでしょうか?

 

 そこからさらに深めていくには、他人と議論をする事が必要になってきます。そうした対話を行っていく事で次第に主義思想が立体的になっていき、理屈も鍛えられていきます。

 

 その為にはやっぱり、現代の哲学者の考えも学んでおく事が大切です。上記で様々な人物の考えを学んでもらったと思いますが、時代遅れな主張をしている人が数多くいます。当時は斬新な思想だったんでしょうが、今の時代には合いません。考えの更新をし続け、進化を続けるのが哲学ですから。

 

 ここで紹介したいのが、マイケル・サンデル氏。NHKで放送された白熱教室で有名になり、著書『これからの「正義」の話をしよう』がベストセラーになった事で、日本でも話題になりました。

 

 彼の思想を軽く説明する為に、引用します。

 

個人は独立して完結できるものではなく、家族・地域・教会などの共同体と無縁に存在することはできないという。その後もサンドルの思想には大きな変化はなく、こうした「多層的に状況付けられた自己」としての覚醒(かくせい)を促すとともに、個人と個人を結びつける健全な共同体の復権を静かに説く。*20

 

 この思想は共同体主義と呼称され、「人は1人だけで生きていく事は出来ない」として美徳を重要視し、少数派をないがしろにしている功利主義や、俺みたいな個人の自由を重んじるリバタリアンも批判します。

 

 アイデンティティは個人で形成されるものじゃありません。家族や地域社会よって育まれてきました。我々は、暗黙のうちに共同体に所属した、相互関係にあります。

 

 ここで薄情に共同体の存在を無視して生活するという事は、そこに道徳が無い事を意味します。もしアナタに少しでも哲学への興味関心があるなら、最大幸福や自由の魅力に惑わされず、反抗するべきです。なぜなら、その思想二つには美徳が欠けているから。

 

 ソクラテスから学んだ通り、哲学者のあるべき姿は"善く生きる"ことです。そのアレテーは、現代に置き換えるなら『共通善』になるのではないでしょうか?

 

共通善

 

聞き馴染みのない単語かもしれません

 

共通善については、マイケル氏自身の説明を読むのが一番でしょう

 

日本で講義した際には、私の唱える「コミュニタリアニズム」に対し、アジアの集団主義という悪い部分を正当化しているという批判も受けた。私は、「共同体(コミュニティー)の価値を無条件で受け入れるべきだ」とか「階層的で権威主義的な伝統に従うべきだ」と主張しているわけではない。(家父長制や専業主婦などの)階層構造が、伝統の名の下で、たとえば女性の権利を否定しているとしよう。私は、その伝統を受け入れるべきだ、などとは決して思わない。

 

私が唱えているのは、コミュニティーや市民としての義務、市民間の相互責任に重きを置き、道理にかなった問いかけや議論を展開すべきだということである。市民が共通善を目指し、人生に意味を与えてくれるような伝統を真剣にとらえるべきだ、と言っているのだ。それがコミュニタリアニズムである。*21

 

 家族に地域、会社や国家にとっての共通善は何か。これを市民同士が熱心に話し合う。そういった社会を理想としています。

 

 コミュニタリアニズムは日本人の国民性と似て非なるものです。横並びを好む集団主義ではなく、共同体の一員であるという自覚を持ち、この街をより良くしていこうという視野の広さで、コミュニティの向上へと邁進する。要は社会貢献です。これぞ美徳と思いませんか?

 

ここで、この思想を深く理解する為の思考実験をしてみましょう

 

家族の責務

 

たとえば、二人の子供が溺れていて、一人しか助ける時間がないとしよう。一人はあなたの子供、もう一人は赤の他人の子供だ。自分の子供を助けるのは間違っているだろうか?*22

 

 恐らくだが、自分の子供助ける人が多数派であろうと思う。それは命に優劣があるとかじゃなくて、親として我が子の命を守る責任があり、それを果たす為には窮地に陥った時に救う必要があるからです。

 

 多分ですが、感情論以外に赤の他人を見捨てた人を攻める理屈はないのではないでしょうか?

 

コミュニティの責務

 

第二次世界大戦中、フランスのレジスタンス運動のメンバーは、飛行機でナチス占領下のフランス上空から爆撃を行っていた。工場や軍事施設を標的としていたものの、 一般市民の犠牲者を出すことは避けられなかった。ある日、ある爆撃機パイロットが指令を受けとり、標的が故郷の村であることを知る(この話の真偽は定かではないが、興味深い道徳的問いを含む)。彼はその任務を免除してほしいと願い出る。昨日遂行した任務と同様、この村の爆撃がフランスの解放という目標に必要であることに異存はないし、自分がやらなければほかの誰かがやることもわかっている。それでも彼は、自分の家族や村の仲間を殺すかもしれない爆撃はできないという理由から、二の足を踏む。*23

 

 パイロットには爆撃をする為の大義名分がありました。それでも上司の命令に逆らい、攻撃しない意思を示しました。はたして彼の姿勢は攻められるものなのでしょうか?

 

 臆病などとは言えるでしょう。ですが、パイロットの感情を慮る事も出来ます。彼が躊躇した理由は、自らが育った村にアイデンティティを感じているからであり、その人格は称賛に値するとは思いませんか?

 

 共同体主義がいうところの社会的アイデンティティとは、こういう事です。

 

 少なからずこのパイロットが命を奪ってきた事は事実でしょうが、それでも道徳的に重要な何かがあって、それを表明する為に上司へ歯向ったのでしょう。

 

 これは命に値段や優劣があるとかいう話じゃなくて、もっと美徳的な話です。それは功利主義自由至上主義にはないものだと、筆者は思っています。

 

たがいに負うものは何か?

 

 日本では時たま韓国から謝罪と賠償を求められていますよね。そういう報道を見聞きすると「何度目だよ」、「何世代も前の罪は、今を生きる世代が背負わないといけないものなのか?」と思ってしまいます。

 

 でも、矛盾に陥っている自分を自覚しています。例えば職場の後輩が問題を起こしたら、それは俺にも要因があると考えます。逆に俺の上司が不祥事を起こした時、それは俺にも原因があったと、罪悪を感じました。

 

 要は、アイデンティティを共有するコミュニティの一員が、恥ずべき行動をした時は俺も共感して恥を覚えますし、反対に誇らしい行いをした場合は、自分までも誇りを感じます。同じように、周りも俺の言動から誇りや恥を感じている様子です。

 

 家族や同胞の行動に誇りや恥を感じる能力は、集団の責任を感じる能力と関連がある。どちらも、みずからを位置ある自己として見ることを必要する。位置ある自己とは、みずから選んだのではない道徳的絆に縛られ、道徳的行為者としてのアイデンティティを形づくる物語にかかわりを持つ自己だ。

 

(中略)

 

 愛国心からの誇りを持つためには、時代を超えたコミュニティへの帰属意識が必要だ。

 帰属には責任が伴う。もしも、自国の物語を現在まで引き継ぎ、それに伴う道徳的重荷を取り除く責任を認める気がないならば、国とその過去に本当に誇りを持つことはできない。*24

 

 愛国心というものを持つのであれば、日本人であることにアイデンティティを持つのであれば、その歴史を受け継いだところの『位置ある自己』が存在することになります。それは同時に責任も受け継ぐという事になる、と。

 

善良な生活

 

 先ほど共通善について話しましたが、それを実践する生活とは、位置ある自己としての自覚を持って、政治や自治に関して積極的に関わっていく姿勢と言えます。この街・国が向上していくにはどうしたら良いかという話し合いに参加して、さらに実行へ移し、社会貢献をしていくことが、市民同士で共有できる善であると思います。

 

ラマナ・マハルシ

 

さて、ここまで西洋の哲学者を紹介してきました

 

最後にインド哲学を話して、終わりにしたいと思います

 

不二一元論

 

 まず、第一原因論みたく、「この世界は何ぞや」という疑問を追及していくと何らかの1つに辿り着きます。そこからドミノ倒しのように多種多様な事情が起きて現在に至ると考えられています。

 

その第一原因は、インド哲学でいうとブラフマンです。世界の根本原理。全ての始まりですね

 

 その予備知識を持ってもらった上で、今度はデカルトの事を思い出してみてください。彼は森羅万象を疑った上で、自分だけは確実に実在する事を証明しました。

 

 しかし、そこで思考停止しているようでは不二一元論を把握することは出来ません。そこで、ラマナ・マハルシは『私は誰か?』という命題を提示しました。

 

 ジョージ・バークリーが唱えた通り、この世界は認識しているからこそ存在します。要は体も心も観念でしかない。ですが、『それを知覚している何か』が在る事は事実です。その意識の根源をアートマンと呼称します。

 

ここまでをまとめると、世界の根本原理は、この世を知覚しているアートマンであり、ブラフマンと同一であるという事です

 

 不二一元論の立場からすれば、この世は夢幻であると例えられます。なぜなら、実在するといえるのはアートマンだけだから。

 

 

あとがき

 

俺は不二一元論が真理であると捉えています

 

アナタにとっての真理はなんですか?

 

 水が真理だとか火が真理だとか、数えきれないほどの思慮を巡らせながら、哲学は進歩しています。それもそのはず。知識への欲求から派生して、数学や天文学など、全ての学問が生まれるキッカケとなりました。

 

 「知りたい」と思う学びへの執着や吟味から、こんにちの哲学がある訳です。しかし、今現在、真理と呼ばれる答えは見つかっていません。

 

 だからこそ哲学者達は日夜考え続け、より良い社会を実現する為、執念を燃やしているのです。もしアナタも知を愛する心を持っているのならば、善き生き方を追い求める為に、哲学者となってみてはいかがでしょうか?

 

この世の真理を見つけるのは、アナタかもしれません

 

 

 

 

 

*1:https://www.irasutoya.com/2015/04/blog-post_412.html

*2:ウィキペディアの執筆者,2019,「タレス」『ウィキペディア日本語版』,(2019年9月13日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%82%B9&oldid=74219873).

*3:https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%98%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B9

*4:ウィキペディアの執筆者,2018,「ヘラクレイトス」『ウィキペディア日本語版』,(2018年12月29日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%98%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B9&oldid=71118676).

*5:ウィキペディアの執筆者,2019,「ジョン・スチュアート・ミル」『ウィキペディア日本語版』,(2019年12月1日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%AB&oldid=75198555).

*6:https://www.irasutoya.com/2017/03/blog-post_78.html

*7:https://www.irasutoya.com/2018/09/blog-post_52.html

*8:ウィキペディアの執筆者,2019,「ジョージ・バークリー」『ウィキペディア日本語版』,(2019年9月21日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC&oldid=74322442).

*9:https://www.irasutoya.com/2017/03/blog-post_581.html

*10:ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ 『形而上学叙説』

*11:https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%97%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%84

*12:https://dic.nicovideo.jp/a/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%AD%98%E5%9C%A8%E8%A8%BC%E6%98%8E

*13:ウィキペディアの執筆者,2019,「バールーフ・デ・スピノザ」『ウィキペディア日本語版』,(2019年11月5日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%8E%E3%82%B6&oldid=74902737).

*14:マンガで入門 世界一ゆるい哲学 p99

*15:マンガで入門 世界一ゆるい哲学 p100

*16:https://www.irasutoya.com/2016/12/blog-post_939.html

*17:プラトン著 『ソクラテスの弁明』

*18:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9#%E8%A3%81%E5%88%A4%E3%81%A8%E6%AF%92%E6%AE%BA

*19:ウィキペディアの執筆者,2019,「ソクラテス」『ウィキペディア日本語版』,(2019年11月13日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9&oldid=74986004).

*20:https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB-188902

*21:https://news.livedoor.com/article/detail/7288616/

*22:マイケル・サンデル 『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』 p292 

*23:マイケル・サンデル 『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』 p293~294

*24:マイケル・サンデル 『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』p304

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