刺激中毒

今日が命日でもいいように、過去を悔やまず、未来を恐れず、現在を生きる。

小説家としての俺

 

小5か小6の時、授業で小説を書く機会があった。他の皆はなかなか筆が進まない様子だったけど、俺は勉強をサボってずっと妄想にふけっているような子だったので、みんながストーリーを考えている間に原稿用紙何枚分もの文章が書けた。

 

今でもそうだが、元々小説は読まない。文学に興味はないけど、図鑑や子供向けに書かれた科学の本なんかはよく読んでいたので、題材にするには十分だった。

 

そこで初めて、クラスメイトや担任などから褒められた事を今でも鮮明に覚えている。それと、純粋に文章を書くのが楽しくて仕方なかった。だから、この自己表現を大切にしよう、続けていこうと思えた。

 

その日から何年も小説を書いていた。授業中も黒板を写さずにノートへストーリーを書いていたし、休みの日に飯を食わず、寝る間も惜しんで何かを書き、親を心配させた。自由研究なんかも小説で提出するっていう自他共に認める可笑しな子供。教師も呆れていた。

 

物語調でノートを取るっていうやり方だけは、なぜか担任が面白がって、三者面談の時に褒めていたのを覚えている。母親は情けなさそうにしてたけど。

 

蕎麦や乗馬など、新しい趣味を見つけてから小説は書かなくなったけど、今でも文章を書く楽しさは覚えているし、だからこそブログを書き続けてる。

 

何日分も予約投稿しているって話したら、読者が凄いと言ってくれたことがある。それが出来るのは、能動的な執筆への意欲が有り余ってるからだと自負してる。

 

因みに、小説を書いていたのは高1くらいまで。約5年間、1つの小説を作り続けていた。何百ページに及ぶのか、自分でもよく覚えていないくらいの長編。

 

ジャンルの違う別個の小説でも、最後には1つの物語として繋がるオチを構想してて、「俺の人生自体が1つの小説なんだ」とか痛い発言してた覚えある。完全に火の鳥をパクってるんだけど。

 

でも、こうやって回想してみると、また小説を書きたくなる。仕事が手につかなくなりそうでやらないけど。

 

その意欲はブログへ回すよ。

 

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