刺激中毒

今日が命日でもいいように、過去を悔やまず、未来を恐れず、現在を生きる。

蕎麦屋を退職します。

お題「今日の出来事」

 

 

働くということ

 

 何度もブログで書いている通り、座右の銘メメント・モリであり、カルペ・ディエムです。俺はいつ死んでも良い。そう思えるのは、幼い頃からやりたい事をやりまくって、好きな事を楽しんできたからこそだと思います。だから、例え今日が命日だとしても幸せです。喜んで死を受け入れるでしょう。

 

 自慢じゃないんですが、俺は世に言う低学歴で、高校を卒業していません。その経緯を説明するには、中2までさかのぼる必要があります。

 

 

 

juliajewelkali.hatenablog.com

  

 

 過去の振り返り記事でも書きましたが、俺は厩務員をやっていました。馬との出逢いについては上の記事を参照してください。

 

 で、趣味としてやっていた馬術を仕事にしたくて、馬術部のある学校を選ぶ必要が出てきました。俺が入学したかった学校は私立なので、母子家庭であるウチでは難しい状況。なので、アルバイトをしながら学費を工面していたんです。

 

 しかし、おばあちゃんが難病で倒れてしまいました。保険は降りますが自己負担額は家計を圧迫し、母親は残業で苦しんでいる様子でした。なので、中退してバイト代を介護費へ回す事にしました。何人かの先生は休学を提案しましたが、それを選ぶくらいなら退学した方がマシだと思ったんです。そして、自らの決断で厩務員を辞めました。

 

 乗馬クラブとトレーニングセンターを掛け持ちしていたんですが、大会に出て勝敗を決めるのではなく、純粋に馬と触れ合っている事に至福を感じていたので、勝ち負けに興味関心が無かった。でも、プロとして生きていくにはそういう経歴が必要だとわかると、若干のしょうもなさを感じるようになったと想起しています。つまり、辞める為の大義名分を探していただけに過ぎない。

 

 厩務員を辞めるとなると、俺が高校へ通っている理由も無くなりました。だから、「休学にしとけ」と念を押されたって聞き流したんです。ちょうどその頃、ホリエモンに関するネットニュースで「高校に行かなくても良い」みたいな発言を読んだ影響もあります。世の中には中卒の人間なんて意外と居るし、まあ何とかなるだろうと。

 

 そんな時、近所で蕎麦教室が行われると聞きつけました。その時16歳なので、この歳で蕎麦の道を選ぶのは多分珍しいと思います。なので、動機を軽く説明しましょう。

 

 乗馬の次はラーメン屋でバイトしました。ご当地グルメを扱い、海外出店までするほどの規模を持つ会社。

 

 そして、ちょうど俺が住んでいる街は蕎麦の産地で、今までは住民が地産地消していただけだけど、これをご当地グルメとして打ち出すという話も聞いていたので、『儲かる』と直感しました。最初は趣味として始めた蕎麦打ちですが、プロに成る決断をし、師匠の店で働かせてもらう事に。

 

 修業して約3年。18歳の頃でした。俺の蕎麦を美味いと言ってくれた人が、開店を予定する蕎麦屋で職人として雇うと誘われました。

 

学んだこと

 

 それが、第2の師匠となる人物でした。俺にダシの作り方を教えて下さった方です。因みに、経営など、オーナーの仕事以外は全て俺に任せて下さっていたので、知人からの呼称は『店長』でした(笑)

 

 別にそういう肩書きを与えられた訳じゃないので事実と異なるのですが、そう呼ばれて嫌な感じはしませんでした。

 

 おだてられている中で、店での自我が若干芽生えて、師匠に無断でいくつかのマーケティングをやった事があります。怒られるかもと思ったんですが、それで常連客が増えて、結果として売り上げを上げた一因になったので、褒められたのは今でも忘れていません。

 

 この職場は、人生で初めて「仕事が楽しい」と言えた所です。俺の人生で最も幸せな期間でした。でも、ここを離れる決断をします。

 

 理由は単純で、俺はもう夢を叶えたから、です。18歳でプロになって、19歳で店の売り上げを向上させて、20歳に積み上げた実力で21歳になってから、店長と呼ばれるような立場まできました。

 

 俺は今の仕事が夢なので、もう叶った状態なんです。俺は自らが経営する店を持ちたいと思っている訳じゃなくて、ただ自分の蕎麦でお金儲けがしたかっただけなので。オーナーや社長と呼ばれる立場ではなく、蕎麦職人という肩書きだけが欲しかっただけだし。

 

 なので、ここに居続けてその至福を味わい続ける事も出来ます。でも、『このままで良いのか?』と思う自分も居ます。

 

これからやること

 

 このコンフォートゾーンから脱却して、あえてアウェーへ繰り出す事によって、正確な自己評価、認識が出来ると思うんです。それが新たな成長になると思って、転職します。

 

 理由は、もう一つ。『次の目標・目的は何にしようか』と考えた時、母親への感謝だなって思ったんです。

 

 世間体が悪くなるからと黙っていたんですが、反抗期は母親に対して無礼な言動をし続けてきました。女手一つで育ててくれたにも関わらず、です。不登校児だった頃は、母も精神を止むほどの不安や迷惑を与えてしまっていたと思うし、それは数えきれない程だと想起します。

 

 上記の通り、俺は今の仕事が楽しいし、生活に満足しています。こんなに幸せな人生を歩めているのは、母親が産んで、そして育ててくれたからです。俺を出産した時に気絶した事も聞いているし、俺が仮死状態で産まれた事も聞いています。あまつさえ夜泣きもひどく、睡眠時間を削って俺を育ててくれました。

 

 俺は持病を抱えているので、夜中に病院へ担ぎ込まれた事は何度もあります。そうやって、何年にも及ぶ苦痛に耐えながら子育てをしてくれたんです。だから、過去の過ちを反省し、贖罪をしていかなければならないんです。

 

 その為にも、給料の良い別の職場へ行きたいと考えるようになりました。今の職場は能力給なので、頑張ればもっと昇給できる可能性はあるんですが、その選択肢を選びません。師匠が俺に「お前がここを巣立って、さらなるステップへ進んでる姿が見たいな」と言ったから。

 

 もう一つ、俺に転職を考えさせた発言があります。

 

 「俺が教えられる事は全て教えた。お前がさらなる成長を求めるなら、別の職場へ行くべきだ。俺より凄い人間なんてまだ居るんだから」

 

 ここで満足するな。そう仰ったんだと慮ります。事実、俺はまだ成長したい。

 

 上記のような言葉は、前の蕎麦屋でもかけられました。あくまで修業の身として働いているので、いつかは卒業するもの。それが、今なんです。名残惜しいというか、師匠の元を離れるのは寂しいんですが、甘えてはいけません。自立しなければならないんですから。

 

 師匠は俺をここまで育ててくれました。親とすら口をきかない陰キャを拾ってくださって、人と会話が出来るように正してくださいました。自己嫌悪にさいなまれていた俺を、「生きているのが楽しい」と言えるほどにまで育成してくださったのは師匠です。俺の夢を叶えてくれたのは、この街のみんなを含む、師匠達です。

 

 感謝しています。だからこそ、離れます。

 

 

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