チャオ!
タピオカミルクティー飲んだの始めて
ビッグボーイですううう!!!!!
俺クラスになると、流行の最先端であるタピオカを口にするからね。しかもキャラメルミルクティーだぜ。オシャンティーだろ?
これだけだと特に話す事ないんで、今週のお題から話題を頂戴する。
今週のお題「部活」
小学生の頃はコンピュータ部に所属していたんだけど、『二軍』というレッテル貼りをされていた。最近の言葉で言うところの、『陰キャ』にあたるだろう。
俺は文武両道の真逆を地でいく男なので、文系や理系でもなく、自慢できる事が何もない。スポーツなんてもちろんやらない。だから、サッカー部や野球部、バスケ部の奴等からは下に見られていた。
何か運動をしてみたい。そちら側の世界に明るいものがある事は察していた。でも、俺は周りと同じ事がしたくない。今さら同級生と同じ事をしたって、後輩になるだけだからだ。
後れを取っていた。周囲と違う何かで差別化を図るしかない。そこで勧められたのが、乗馬だった。
当時俺は「学校に行きたくない」と主張していた。そんな俺を見て引きこもりになる事を危惧した学校側から、スクールカウンセラーをつけられた。
俺はどんな提案をされたって否定する。人が嫌いで嫌いでたまらなかった時期だから、人付き合いをすること自体に反吐が出る。でも、心を動かした一言があった。
「ホースセラピー、受けてみたら?」
端的に説明すると、アニマルセラピーの一つ。乗馬をしながら社会復帰を図る、というもの。
ブログにも何度か登場している通り、俺は犬を飼っていて、動物が好きだ。犬は他人と違って嫌な事を言わないし、常に俺を癒してくれる、大切な友達。
乗馬か。面白い。周りで馬に乗っている奴なんか聞いたことなかったし、これならやりたいと思えたんだ。
勧められる前から関心があったっていうのもあると思う。馬に興味を持ったのは小学生の頃で、意味も分からないのに競馬を眺めていた事もあるくらい。
それから約2年ほど、乗馬をする日々。結局学校には通わなかったので不登校児なんだけど、それでも毎日馬に乗れることが楽しくて仕方なかった。
高校生になれば馬術部に入り、厩務員としてアルバイトを始める。朝5時に朝食をあげるのが始めの仕事で、7時から16時まで馬に乗りまくり、20時に夜ご飯をあげれば仕事が終わる。
乗馬クラブには子供からお年寄りまでやって来る。様々な世代と少しずつ触れ合っていくうちに、ある程度の社交性は身に付いた。その頃は親とすらあまり口をきかないような、そういう閉鎖的な子だったので、俺は馬によって育てられたと想起する。
ホースセラピーとしての乗馬は、役目を終えた。騎乗者資格を持っているので、このままプロとしての道を選ぶ事も出来た。でも、俺は卒業を選んだ。
なぜなら、蕎麦と出逢ったからだ。
こうして銀髪の蕎麦職人が誕生する
乗馬クラブを巣立ってから、飲食業で仕事を探していた。幼い頃、家庭科の授業で料理したのが楽しかったっていうのもあるし、おばあちゃんの調理を手伝って褒められた過去があるから。
あと、この業界へ飛び込めば自分が変われる。そういう想いが強かった。飲食業は俺と真逆の人間が入る世界で、社交性に溢れる人々がいる所。だから、そういう環境に身を置く事で成長できると考えたんだ。
環境の変化が成長に繋がるっていうのは、ホースセラピーで学んだ事。家を飛び出して乗馬クラブに住み込ませてもらっていたが、そのおかげで今の俺が在る。
でもまだ俺は上を目指す。だからこその飲食業だった。
その頃、16歳。お盆かなんかで家族が集まった時、蕎麦を食べに行こうと話が進んだ。でも、当時の俺は蕎麦嫌いで及び腰。しかし、いざ一口食べてみれば、今までにないほどの感銘を受けた。
それが、初めて食べた手打ち蕎麦。今までただ腹を膨らます為に食べていた、安価なカップ麺とは格が違う。俺は箸を置いて厨房へ行き、「ここで修業させてください」と申し出る。後に師匠となるその方は、苦笑いで了承してくださった。
16歳で修業を始めたっていうのは、俺が住んでいた街では恐らく初だ。だからお客さんから褒められたり認められたりして調子に乗り、もっと目立ちたいと考えるようになった。
そこで、俺は赤髪にした。当時の俺はK-POPにハマっていて、特にG-DRAGONが好きだった。その真似事として髪の毛を真っ赤にした訳。
人生初の染髪が赤って聞いた事ないよね。よくあるのが茶髪とかじゃん。こういうところも、冒頭に書いた「周囲と同じ事をしたくない」っていう性格の表れなのかも。
そこから派手髪にするのが面白くなって、次は銀髪を選んだ。金髪はありきたりだから、あえて対をなす銀を選んだっていう経緯だったと思う。ちょうど、その頃は松本人志が銀髪にして話題になっていた時期だし。
そりゃ、先輩から怒られまくったけどね。でも、松ちゃんが金髪にしたら俺も真似して火に油を注いでやった。
周りと違う人でありたいと思いながらも、有名人と同じっていうのは俺の中でOKだった。現実で会う人じゃないし。
確かその年ぐらいから、「インタグラム」という言葉をちょくちょく聞くようになった。もちろん俺は違う事をしようと思った。
そこで精を出したのが、ブログだった。サイトは転々としながらも小学生の頃からやっているので、もう10年近く書いている計算になる。これで知名度を得たいと思うようになった。
インスタグラムに投稿されているような、キラキラした魅力的な写真なんて載せられるほどリア充じゃないし、インスタグラマーになんて憧れなかった。
でも、ブロガーは違う。はてなブログの開設でいえば同期の人が、俺の倍以上の読者数を誇って、本を出したり別サイトへ寄稿しているのを見ると悔しくなる。
心の中で呟く。「今にみてろ」
次はなにをしようか
手打ち蕎麦を教えて下さった師匠の元を離れ、今は別の蕎麦屋で働いている。俺の手打ちを認めてくださり、店の蕎麦を任されるようになった。この時、18歳。
その方は蕎麦つゆの師匠で、このブログにもよく登場する。「今日もまた怒られたよ~!」なんて文脈で。
実はこれを書いている今日も叱られたんだけど、内容は「お前には中身が無い」だった。ナルシシズムと誇大妄想に溢れ、恥を知らない、口先だけの人間だって。
何も言い返せない程の正論だよね。
学生時代は自己嫌悪が強かったけど、改善するための努力をしてこなかった。でも、蕎麦に出逢ってから周囲の反応が変わった。それが嬉しくてたまらなかったんだ。
「お前に飲食業なんて無理だ」
親戚からそのような言葉をかけられた。先輩から「この業界向いてない」と言われた。でも、自分の蕎麦を信用されるようになって、10代の内からプロになったんだ。
そしたら、身内から「お前がこの仕事でやっていけるなんてな」、「変わったな」と言われた。俺の派手髪を怒っていた先輩だって、「ここまで成長するなんて」と褒めてくれた。
俺は、自惚れている。悪い意味で自己肯定感が強いんだろう。学生時代に傷ついた自尊心が、蕎麦によって癒された。そんなつもりでいたけど、化膿しただけなのかもしれない。
確かに真逆になった。そう思い込んでいた。他人に興味なかった俺が関心を持つようになったし、自分の事も好きになったというのに、師匠は言うんだ。
「魅力的な言葉と派手な装いで着飾っているだけで、薄っぺらい」
師匠は俺の事を「メッキ」と揶揄する。一見キラキラして美しいけど、偽物に過ぎず、実績に似合った言霊を使えていない。
髪を染めたのもそうだ。外見で注目を集めようとするが、染髪にかかる金を蕎麦粉代にまわして、練習を積み重ねていれば未来も変わっていただろう。
後悔先に立たず。見た目や喋りで取り繕うばかり。だから俺には中身が無い。
このままじゃ駄目なんだな。俺にはまだ頑張らなくちゃいけない点がある。成果を残す大人になれば、ハッタリをかましたっていいだろう。
成長する為に、馬術、蕎麦と経験してきた。次はなにをやろうか。