人生で一度もニュートンなんて読んだ事ないんですが、このタイトルに惹かれて購入してしまいました。僕は神社で働いているので少なからず東洋哲学に触れており、こういった題名の作品には興味をもってしまいます。
それでは、本題に入りましょう。
無とは何か?
この本によれば、物理学においての無は『真空』であると述べられています。しかし、科学的な“何も無い”の中にも何かが存在する事を説明されています。ここから頭がこんがらがってきており、まるで禅問答の様です。
古典物理学において、物理的に何も無い空間を真空と呼び、真空は完全な無であると考えられてきたが、現代物理学においては、真空のゆらぎによって、何も無いはずの真空から電子と陽電子のペアが、突然出現することが認められている。このことによって、現代物理学では完全な無(絶対無)というものは物理的に存在しないとされている。*1
何も無い所に何かが存在するというのはどういう事なのか?
無の空間は存在する。この表現が科学的に正しい事に驚きました。どういう事なのか。その答えは、この本を読んで確かめてみてください。未知の世界が、そこには広がっています。
『無』について。哲学者は、どのよう考えているのか?
この本を読んで面白いと思ったのは、科学において何かが解明されたと思ったら、そこからまた新たな謎が生まれ、研究に終わりの無い所です。
古くから、人々は身の周りの自然、もっと言えば自分そのものを不思議に思い、考えをめぐらせてきました。そのおかげで現代社会があります。科学の始まりは哲学と言っても良いのではないでしょうか?
注・下記の文章はニュートンの内容ではなく、僕個人の意見です。
哲学と言えば、僕がよく職場(神社)やブログなどで唱えている不二一元論ですが、これはインド哲学でかなり有力視されている学説であり、僕もこれを説く立場です。
その立場から言えば、「そもそも『存在』とは何なのか?」の定義の確定からはじめなければ、議論は出来ません。
ただ、結論から簡潔に言えば、『無』は無い。これが答えでしょう。『無』とは有ありきで考えられるものであり、本当に何も無いのであれば、そこに無すら無いのです。
自我が存在するから『無』などという概念が思いつきます。「存在しない(無)という事はありえるのだろうか?」などと疑問が脳内に現れる訳です。そのような哲学的疑問に思いを巡らせている自分だけは確実に存在しているんです。ならば、その想念を認識している自分とは何ぞやという根本を考えつめなければなりません。
意識だけは確実に存在するものであり、それ以外の森羅万象いかなるものも存在するとは言えない、自分が見ている夢幻に過ぎない。そう考えるのが不二一元論です。
世界の根本原理、ブラフマンから全ては始まった。自分がこの世界を認識しているから世界は存在しているように思えるのであり、本当は自分しか在りえない。ブラフマンと自分の根源、アートマン(真我)*2は同一であると悟る事で涅槃の境地に達するという思想です。
少し独我論と似ている考え方ですが、「世界の始まりと自分の始まりは同一ある」という解釈は独我論者にはないのではないでしょうか?
この宇宙はホログラム!?アナタが見ている現実は幻だった!
驚きました。理論物理学で最近注目を集めているホログラフィー原理について触れられています。僕は詳しく知らなかったんですが、内容を読んで感動しました。まるで上記のインド哲学みたく、「この世界は幻である」と主張する理屈みたいです。ようやく、科学が東洋哲学に追いついて来たかって感じですが(笑)
この本は、物理学や量子論、サイクリック宇宙論など様々な視点で「『無』とは何か?」の解説がなされています。ただ、哲学者達の意見が詳しく掲載されていなかったのが少しだけ残念だったので、僕なりの意見を上記に書かせてもらいました。
最後に感想だけ言わせて。ただただ、本当に面白かった。科学者も同じ問題に取り組んでいるのに、それについての説明がこんなにも違うだなんて。
形而上学的な疑問をお持ちの方、「なぜ?」って疑うのが好きな方にオススメの一冊。
*1:ウィキペディアの執筆者,2018,「無」『ウィキペディア日本語版』,(2018年12月21日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%84%A1&oldid=71023373).
*2:肉体でも心でもない、神秘的な霊魂。言い替えれば本当の自分