死後の世界

今週のお題「行ってみたい場所」

 

 
 
 おそらく自分以外の人は信じがたいと思うけど、僕は高1の頃に臨死体験*1をしたことがある。詳しくは下記の記事を読んでほしい。
 僕はその日から神様を信じている。だから、死後の世界は信じていない。
 でも、世の中には不思議な人がいるもので、死後の世界に行った方がいるそうだ。本当に天国があるなら行ってみたいものだね。
 
 今回はそれについて書く。
 

 

 

 あなたは死なない

 

  そもそも死ぬってなんだろう?

 

 どうなった時が死ぬと言えるのかな。

 

 あなたは自我をどう定義しているだろう?

 

 頭のてっぺんからつま先までが自分、この魂こそが自分・・・

 

 人によって言う事が違うだろう。この時点でおかしいんだ。

 

 みんな、ハッキリと私が何者であるかがわかっていない。

 

 それに、この記事を読む前から私は誰か?を考えた事がある人ならわかるだろう。答えが見当たらなくて不安になったはずだ。

 

 でも、今日は不安のその先まで行ってみよう。

 

 あなたは、自分自身が存在する事の証明は出来るだろうか?

 

 答えは出来る。あなたが森羅万象のすべてを疑ったとして、唯一ハッキリと答えがあるは自分がいるという事だけだ。

 

 

 我思う、ゆえに我あり

一切を疑うべし(De omnibus dubitandum)という方法的懐疑により、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ない。「自分は本当は存在しないのではないか?」と疑っている自分自身の存在は否定できない。―“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、故に我在り)、とする命題である。

 

 

 

 あなた以外のものは存在が不確かな物、いわば世界は夢幻である。だから、私は誰か?の答えは実在なのである。

 この事に関して、参考になる動画があるので視聴してみてほしい。

 

 あなたが在るから世界も在る

   神ですら、あなたがいなければ存在を証明できない。それを超越したもの、原因を必要とせず在るもの、根本的なものについて瞑想してみよう。

 

 そして、世界が在る前にあなたが在るということは忘れずにいてほしい。これからは血迷っても「自分は個人である」などと考えてはならない。それは苦悩を生むだけの思考だから。

 

 以上のような文章で、死なない事を知っているものにその後の世界なんて無い事がわかってもらえたかな。

*1:厳密には生死をさまよう様な事故ではないので、神秘的な経験というのが正しい表現かも

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