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SAWのアダムはジグソウの共犯者だったか?

お題「何回も見た映画」

 

 SAW一作目、アダムとゴードンのゲームだけ、どう考えてもアダムが不利です。ゴードンにだけゲームに勝利できる道具*1が多い。しかし、ジグソウの目的は殺人ではなく更生です。

 ジョン・クレイマーはアダムが更生出来ない人物だと知っていた。なぜか? 共犯者として接していたからではないか?

 ここで思い出してほしいのが「ハートに従え」という台詞。このスピリチュアルやニューエイジみたいな言葉は、作品の中で重要な発言。ならば、アダムという名前にもキリスト教的な意味が含まれているのかもしれない。

 

 アダムはゲームに参加するべきな人物の写真を撮ってジョンへ情報提供するような役割だった可能性がある。*2つまり、一回は何らかの理由でゲームに参加していた。生き残ったが大した更生がみられなかったので、難易度の高いゲームに参加させられたのではないか。

 

 

 そもそもアダムはゲームの道具として用いられており、ゲームのプレイヤーはゴードンだけだという説が上記の記事にあるけど、ジグソウのルールに則ったゲームになってないと思う。確か生への感謝をさせる事が目的だよね。鍵を飲み込まさせられた男について詳しく描かれていないから道具説も捨てがたいけど、ジグソウについて警察はある事を言っていた。「彼はゲームを最前列で観るのが好きなようです」

 ジョンは仮死状態になったので厳密にはゲームを見ていないが、その体勢を思い出してみよう。仰向けじゃなくてなぜうつ伏せなのか。

 

原題の“SAW”は、「のこぎり」と「見る(see)の過去形」、そして劇中謎を投げかける犯人の名前、ジグソウ(Jigsaw)の3つの掛詞になっている。さらに、主人公の職業である外科医を意味する語(sawbones)や立場逆転のこと(seesaw)も示している。*3

 

 ゲームの為に使われる施設や道具には何かしらの意味がある。その中で謎だったのが鏡。アダムはマジックミラーだと見ぬくが、なぜそれがわかった? なぜ犯人がどこかで観ていると思ったのか?

  そもそも監視カメラならマジックミラー越しじゃなくても良い。鏡を設置する事に何かしらの意味があった。

 

 普段から他人の写真を撮ってばかりだったアダム。自分より他人の事ばかり目を向けていた彼は、鏡を覗きこんだ時にアダムとしての自分ではなくジグソウの一員として自分をみたのではないか。自分の生を軽視している彼は、ジグソウにとってゲームに参加すべき人物な訳。恐らくアダムは一回目のゲームで生き残った後も大して自分の生を考えていなかった。鏡には自分を見つめ考えを改めさせる意味があったのに。

 ジョンの人生観は、目を醒ましてから注意深く状況を調べなかった事からわかる。湯船に助かる為の道具がないか視なかった。ゴードンや死体など、他人の事に注意してしまった。あまつさえ足を切る根性も無かったから「ゲームオーバー」を告げられた。

 ようやく死に直面している事がわかり、足の骨を砕き足枷を外して施設から出ようとするが、結局アマンダに殺されてしまう。自分のハートに目を向けるのが遅すぎた。ゴードンと仲良く施設から抜け出そうとする考え方は、ジョンの嫌う他人任せだった。現に、『自分の命は自分で守らなければならない』という思想でジョンはジグソウになったのだ。

 彼の死は、他人の生を歩んでしまった事の因果応報である。

 

*1:煙草を利用した毒殺の方法を教えられた事に加え、銃を持たされている。

*2:ゲームに勝利したゴードンはそのような役割をしていた。

*3:ウィキペディアの執筆者,2016,「ソウ (映画)」『ウィキペディア日本語版』,(2016年12月8日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ソウ_(映画)&oldid=62218716).クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 Unportedライセンスの下で利用可能です

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