私は誰か?

 

一生を平社員で過ごした人の人生も、社長まで出世した人の人生も、結局はゼロとなって同じであるし、
人類の幸福に貢献した人の人生も、人を千人虐殺した極悪犯人の人生の価値も、結局はゼロだから同じなのだ

なにしろ<何をやるのも許されているが、何をやっても無駄>
というのが、宇宙論ニヒリズムからの論理的帰結だったからである*1
 
 
 上記の引用を書いた作者の考えとは違うかもしれないが、『ゼロ』とは『意識』と捉える事が出来る。記憶や思考、肉体が無くなっても、意識に問題はない。意識以外の森羅万象に何かが起きても、意識は影響されない。影響されると言うなら、それは『心』である。心は死ぬもので、真理ではない。あなたも私も、死ぬ時は生まれる前と同じになる。
 

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 多くの人が言う「死」とは意識に還る事で、「生」とは想念なのだ。

 『心は私ではない』、『体は私ではない』、『いかなるものも、私ではない』

 この事だけを捉えていれば『私は誰か?』という想念が消える。なぜなら、問い続けていると否定できない物を見つけるからだ。

 

 自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ない。「自分は本当は存在しないのではないか?」と疑っている自分自身の存在は否定できない。*2

 

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 もっと言えば、貴方は意識すら超越しているのだ。言葉では表現できない存在こそ、貴方である。言葉は想念、それは『思い込み』である。誰かが決めつけたものなど真実ではない。これが解かると、世界は夢幻であり、意識だけが真理である事も理解できる。

 

 また、『意識』を不二一元論的に言うなら『真我』である。書物に記される前、古くからインドにあった思想とされるが、起源については確かめようがない。

 

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