宗教に興味ある人が読むべきたった一つの書物

お題「読書感想文」

 

 

 ラマナ・マハルシ

 「私は誰か?」という問いかけによる実践的な真我の探求(アートマ・ヴィチャーラ)を推奨した。肉体を自分であると誤ってみなしているエゴである「私」の根源を探求することで、「私」が根源である真我に溶け込み、消え、純粋な意識であり絶対的実在の真我のみが残る。これは、ヴィチャーラ・マールガ(探求の道)またはジニャーナ・マールガ(知恵の道)と呼ばれる。この探求は、常に自らが真我であることに気づくために行うものであり、新たに真我を作りだしたり、真我を獲得するということではない。ただ、真我を覆い隠している障害物である「私とは肉体である」という思いを核とする様々な思いを除くだけである。マハルシは、自らが真我であるのに真我であると気づいていないことを、不可思議の中の不可思議と表現している。

 


悟りへのまっすぐなもうひとつの道として、バクティ(献身、帰依)も教えている(バクティ・マールガ)。バクティ梵語:भक्ति、bhakti)は、崇拝する神や師事するグル(聖なる師)に自分自身を委ねる(明け渡す)ことである。その完全な達成により、自分の欲望は完全に消える。バクティとジニャーナには優劣はなく、どちらを選ぶかは修行者の性質による。マハルシは、バクティはジニャーナの母という表現をしている。ちなみに、神・グル・真我は同じものの異なる呼び名である。

 


真我の探求に困難を感じる人などには、他の修行の道を否定せず、自身が最も行いやすいと感じる修行をすればよいといい、様々な修行にも寛容な態度をとった。


マハルシは、真我を悟るために、大部分の人は継続的に努力して修練する必要があると説いている。マハルシのように今世で修練なくして悟る魂は稀で、今世で悟ったものは肉体を去るまではプララーブダからくる、残りのヴァーサナが除去されない限りは完全にならないといわれている。バガヴァーンは修練者が従うべき行動準則は何かと聞かれて『霊的な教えの』実践編17のなかで「節度のある食事、節度のある睡眠、節度のある会話」と述べられた。菜食によって心の純質(サットヴァ)が増すことはインド社会では常識的に知られている。*1

  
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え

 

   この一冊はラマナ・マハルシが教えた事をまとめた物である。この本はどんな宗教を信じている人にも読んでほしい本なんだ。なぜなら、これは自分の宗教的な理解を深めるきっかけになるから。クリスチャンやイスラム教徒など神を信じている人にとっては『真我』を『神』に置き換えて読めるし、仏教徒なら『仏』に置き換えて読める。無神論者や不可知論者はそのまま真我として読める。この本はあなたの苦しみをなくすキッカケになる一冊だろう。

全ての宗教は苦しみを無くす機会を与えてくれるものなんだ。そうでないならただの金儲けさ。

 

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