摂食障害を生むのは誰か?

お題「マイブーム」

 

 

 生成*1

病理的な親は自分の延長物として子どもを利用する。常に上を目指すよう励まし、人より優れることを期待する。期待に沿う限りにおいて子を甘やかし、賞賛するが、出来ないときには失望し、怒りを表出する。自身の自己愛によって子を振り回すのである。こうした期待の内実は親自身の欲望であり、子どもを自分の道具、所有物、飾るモノとして扱っているにすぎない。親の自己愛の照射を受けて養育された子どもは、期待に添う限りは賞賛され、愛されるが、一方では自分は無条件には愛されない(すなわち、本当には愛されない)という二重構造の中で生きる事となる。
そうした子どもは物を介して甘やかされていても、信頼と受容の関係という甘えを体験していない。輝く子どもであることを無意識に要求され続け、しかし際限のない親の欲望を満たすことができず、常に自己が無力化される機構が働いている。無力化される体験を浴び続けることで形成されるのは、深刻な欠損を抱えた空虚な自己である。自己不信を中核とした自己意識は常に悪性の抑うつを生み出し続ける。自分は無力で価値のない、無意味な存在であるという極度に価値下げされた自己像を抱える子どもは、自己不信が生みだす深刻な抑うつを防衛するために、鏡像で映したような、等価の価値のある自分を発展させて自己をバランスしようとする。甘えと愛を断念して手に入れたのは病理的自尊心であり、背後には茫漠たる自己不信が横たわっている。
内的価値は自分の存在が周囲から許され愛されており、無条件に自分という存在には価値があるという感覚があるときに成立する。自己の内的なものに自信がない彼らは、周囲の人からどう思われるかに敏感であり、常に他人と自分を比較しながら生きざるを得なくなる。輝く自分を実現するには、他人を蹴落してでも上位にならなければならない。外的価値は結果を出すことでしか得られず、必然的に対人関係は勝ち負けの世界となる。優越している自分は他者を見下す対象にし、転落した無能な自分は見下される対象になり、対等の人間関係を築くことが困難になる。


拒食症患者は例外なく「平凡恐怖」を抱えている。自分の内的なものに自信がない彼らが社会で生きていくためには、誰もが目で見てわかるような外的価値を獲得するしかない。学歴、職業、地位、才能、ブランド、そして贅肉のないスリムな体型はその最たるものである。自分を信じることができない彼らは、他人を信じることができない。自分を愛せないことは、他者を愛することを不能にする。それでもなんとか自分を愛するために、自己不信を克服しようとダイエットに依存するようになる。早期に自立を期待され、甘えを封印してきた彼らは、子ども時代を積み残したまま次の発達段階へと進んでいく。

 

 拒食*2

 自分には何の取り柄も無いという自己不信を根底に抱える人は、その抑うつを防衛するために、人とは際立って違う、優れた、特別な自分であり続けなければならない。彼らは幼い頃から常に「自分が自分以上でなければならない」という強迫観念に支配されている。やせを実現するには、食欲を抑え、自分に打ち克つ必要がある。やせる事に成功した時には、自分をコントロールすることが出来たという万能感が得られる。幼い頃から課題に挑戦し、自分に打ち克って結果を得てきた彼らは、結果を出す事で得られる賞賛と万能感により、中核にある自己不信を救済する。

彼らは負けず嫌いであり、そしていつも負けていると思っている。現実の中で特別な価値の獲得に失敗した人は、「せめてやせていないと取り柄がない」という感覚から、誰もが望み、簡単には出来ないダイエットへと挑戦する。やせることは最も身近な外的価値の収得であり、ダイエットの成功は直接的に自己価値を高める。それはやせることには価値があり、その為には努力しなければならないからである。価値意識は「どれだけやせているか」へと変換され、体重増加は恐ろしいほどの価値の低下に繋がる。他と変わらない体重は「並」「平凡」「普通」であるため、輝くことで自己不信を払拭してきた彼らには決して許容することが出来ない。やせを希求する女性にとって、男性はほとんど意識されておらず、その競争相手は同じ女性である。人よりやせていることは、現代社会の価値観においては「勝った」ことに繋がる。人よりやせる事は、常に人より上に立ちたい、勝ちたい、輝きたいと願う彼らの存在証明でもある。拒食は自己愛の病理と深く関連しており、自己愛性心性を扱うことが求められる。

 

 過食*3

 極端なダイエットは慢性の飢餓状態をつくり、結果的に過食を招く。過食は拒食のリバウンドである。彼らは食べたいのではなく、やせたい人達なのである。しかしやせていたいのに食べてしまうため、その埋め合わせに嘔吐をし、ときには下剤利尿剤を用いる。過食はどうでもよいというような自暴自棄の感情や、気分が落ち込んだ時、思う通りにならなかった時、相手から拒否されたり否定されたと感じた時、淋しかったりする時などに生じる。すなわち、それまで頑張ってきた体重減少の努力が無駄になったと感じられた時に過食が生じるのである。

しかし、過食が繰り返されると別の隠喩が出現する。幻想の中で母性的なものと一体化を求めるのである。過食行動は憤怒、自暴自棄、絶望、孤立無援感、抑うつ、空虚感などの境界例心性に続発して出現する。自分が見捨てられる恐怖が強まったり、寂しい時、自分は無力で無価値であるという否定的な感情が高まった時に幻想の中で母性的なものと一体化を求めて過食行動が生じる。過食は頭が真っ白になって、ただひたすら味わうことなく食べ物を詰め込むように食べる。それは乳児が目を点にして乳をむさぼり飲み、欲求が満たされると眠りに入る姿と重なっている。子ども時代に甘えることを断念した彼らは、甘えや対象への一体化の幻想の中で、幸せな乳児の状態へ回帰し、過食することで内部の衝動を満たそうとする。この感覚には恍惚感や満たされた感覚が伴うので、落ち込んだ時に習慣化するようになる。しかし食べた後は悔恨が生じ、嘔吐などの浄化行動で過食をなかったことにしようとする。一度浄化行動のルートが形成されると、過食はチャラにできるので、容易に繰り返されるようになる。

 

 こうして摂食障害の患者は悪循環に陥る。それはさておき、この記事書いた人、文章上手いな。でもなぜか笑ってしまった一文があって、それを下記に転載する。

 

 血中のコレステロールは高く、血圧は低い。手足の末端は冷たくなり、脱毛、皮膚の乾燥、背中にうぶ毛が生えることもある*4

 

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