刺激中毒

今日が命日でもいいように、過去を悔やまず、未来を恐れず、現在を生きる。

ワイ将、物語シリーズのグッズを山ほど手に入れる

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 クリアファイルを8枚買いました。

 

 何をそんなに挟む必要があるねんって話ですが、仕事柄書類を少なからず扱うことがあるのと、あとはブログのネタになるような資料を集めたりしてます。

 

 例えば、本の印象深かったページを切り取ったりして、1人寂しくニヤニヤしてます。

 

 それはさておき、1つ懐かしいものを買いました。

 

 それは…。

 

 


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 缶ペンケース!

 

 小学生以来です。筆箱を手にするのは。

 

 働くようになってから鞄にボールペンを無造作に入れていたし、そんなことをして無くすようになったので、今じゃ業務上のメモはスマホに書いています。

 

 なので本当はいらないんですが(笑)

 

 なんか可愛かったんで買っちゃいました。

 

 ハローキティはちょっと女の子っぽいので人様に見られるの恥ずかしいんですが、グッズ集めは楽しいので、またなんか買いますね。

 

 それでは!

 

 行ってらっしゃい!!!

 

『無知のベール』をかぶって考えてみよう【思考実験】

お題「最近知った言葉」

 

正義とは何か

 

誰しも一度は考えた事のある問題かもしれません。しかし、大抵の人はそれに答えを見いだせないまま、自然と消滅させ、あるいは目を逸らしながら生きているでしょう。

 

今日だけは、この問題に直面してください

 

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それでいいのか?にわかファン

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 蕎麦業界でいうところの蕎麦通、アニメや漫画でいうところのオタク。そういった方々は色んな界隈におられることと思います。

 

 で、SNSなどで散見される、にわかファンに対する意見に物申したいので、最後までお付き合い頂けると幸いです。

 

 さて、本題に入ります。

 

 にわかファンを中傷する、言わば圧力みたいなものって、汚い言い方をすれば「アホ」だと思うんです。

 

 「こんな事も知らないのか」とか「用語を大して理解せずに使ってんじゃねえ」みたいな意見。そういったものを初心者へぶつけてしまうと、結局そのコンテンツ自体への嫌悪や拒絶に繋がると思います。

 

 要は、新参者を受け入れる姿勢でないと、自分が好き好んでいるコンテンツ自体への悪影響に繋がると思うんですよね。

 

 ファンなら、コンテンツの良さを「にわかファン」に広めていくべき。その知識を深めてもらえるように、マニアが手ほどきするべき。これが、古参のあるべき姿ではないでしょうか。

 

 なぜなら、マニアなんて業界においては一握りだからです。例えば筆者は蕎麦職人ですが、蕎麦通なんてごく一部で、 殆どが所謂ライト層。

 

 ここで考えてみてください。イキった蕎麦通が、一見さんに手繰り方を講釈垂れていたら。やれ最初は塩だのワサビはツユに溶かすなだの。

 

 はっきり言いますが、自分が食べたいように食べるのが一番美味いでしょう。最初から薬味全部打ち込んで食べたい人はそうすれば良い。一味や七味も好きなだけ入れれば良い。

 

 ここで偉そうに作法を説かれて「蕎麦屋って良いなぁ〜」と誰が思うでしょうか。

 

 多分本人は良かれと思ってにわかファンへ物を教えているつもりなのでしょうが、それは裏目に出ています。蕎麦業界に寄り付きにくくしているんです。

 

 こういうと、冒頭の意見と矛盾しているように聞こえるかもしれません。

 

 しかし、一貫しているのです。潜在的なマニアなら、にわかファンの状態から自然と学び、いつのまにかコア層まで来るはずでしょう?

 

 無理に知識を押し込もうとしてもバネのように反発するし、逆に放置されると「ここは私の居場所じゃない」と感じて逃げて離れていきます。

 

 向こうが知識を求めるなら教えるべきだし、逆に軽く楽しもうとしているならそれで良い。

 

 ここで自分の知識をひけらかしても、ファン層の印象が悪くなる。それが連鎖して、コンテンツ自体にも嫌悪感が塗られてしまうのです。

 

 これはアイドル界隈で見られる現象ですね。

 

 こないだ著名なアイドルが結婚しましたが、ファンが汚い言葉で結婚相手を罵っていました。Twitterのトレンド1位を獲得するほどに。

 

 偏見かもしれませんが、俺はアイドル界隈そのものへの拒絶感を覚えてしまったのです。

 

 確かにこれが一面に過ぎないのはわかるのですが、その一面があまりにもヘドロのように汚れていて、醜かった。近づきたくない。そう思ってしまったのです。

 

 俺は、こうあらぬようにと、色んなエンタメを楽しむ上で思うのです。

 

  

オンライン診療は革命を起こすか?

事故られました。5針も縫われたし皮膚切り取られたしずっと痛いし、あまつさえ風邪ひいたから災難続きです。

 

擦り傷とかアザとか打撲とか、そういうのは置いといて、膝がごっつ痛いんです。手術されたんです。壊死する可能性あるとか怖いこと言われてビビりまくっています。

 

で、上記の通り皮膚を切り取った所を縫ったので、完全に塞がっている訳じゃないそう。自然治癒で繋がればいいんだけど、もしそうならなければ壊死する恐れがあるみたいで、その時は再度手術なんだって。また麻酔されんのか。注射痛いからやだよ。

 

そんな状況なのに、帰って家で横になっていたら、首や足腰に激痛が走ったのね。ベッドから動きにくい訳よ。ただのムチ打ちなんだけど、術後の痛みも相まって、めちゃんこしんどい。

 

翌日の朝、もっかい病院行ったらめっちゃ待たされたの。予約しても結局時間超えるし、なんなの。

 

いや、お医者さんも大変なのはわかる。病院も忙しいんだろう。でもさ、改善策を練ったりしてないの?

 

 

最近の医学界隈で話題になってるオンライン診療。

 

これさ、もっと普及すれば効率化に繋がるだろうに、あんまり広まってないのね。

 

どうやら検索してみたところ、お医者さんの過半数はオンライン診療に対して否定的みたい。

 

 

上の記事にも書かれている通り、オンライン診療を導入しているのは全体の1%。全然広まってない。

 

俺さ、膝を曲げると傷口が広がって壊死に繋がると言われてるから伸ばすようにしてたんだけど、前を車椅子で通る人がいたり、通行人の邪魔になるから結局曲げるしかなかったの。でもね、そうしてるとめっちゃ激痛が走る。

 

伸ばしている方が楽だからそうしたいけど、周囲への迷惑を考えるとできなかったし、あまつさえ待ち時間が長いから(結局半日潰れた)、ほんとツラかった。

 

どうにか出来ないもんかね。

 

足を曲げても伸ばしても痛いから、ほんとツラい。

 

 

なぜ大阪人は派手を好むのか?

江戸時代ごろ、倹約令というものがありました。贅沢を禁じ、身分制度に応じた生活をしなさいという決まりです。

 

しかし、江戸に比べて武士の少なかった大阪では、監視する者があまりいないこともあり、派手な服装が着やすい環境にありました。

 

そのような文化的背景も相まって、今でも大阪では派手好きな人々が集う訳です。

 

大阪のおばちゃんは虎が描かれたTシャツを着ていますが、まさかこのような歴史があったとは想像できませんよね。

小説家としての俺

 

小5か小6の時、授業で小説を書く機会があった。他の皆はなかなか筆が進まない様子だったけど、俺は勉強をサボってずっと妄想にふけっているような子だったので、みんながストーリーを考えている間に原稿用紙何枚分もの文章が書けた。

 

今でもそうだが、元々小説は読まない。文学に興味はないけど、図鑑や子供向けに書かれた科学の本なんかはよく読んでいたので、題材にするには十分だった。

 

そこで初めて、クラスメイトや担任などから褒められた事を今でも鮮明に覚えている。それと、純粋に文章を書くのが楽しくて仕方なかった。だから、この自己表現を大切にしよう、続けていこうと思えた。

 

その日から何年も小説を書いていた。授業中も黒板を写さずにノートへストーリーを書いていたし、休みの日に飯を食わず、寝る間も惜しんで何かを書き、親を心配させた。自由研究なんかも小説で提出するっていう自他共に認める可笑しな子供。教師も呆れていた。

 

物語調でノートを取るっていうやり方だけは、なぜか担任が面白がって、三者面談の時に褒めていたのを覚えている。母親は情けなさそうにしてたけど。

 

蕎麦や乗馬など、新しい趣味を見つけてから小説は書かなくなったけど、今でも文章を書く楽しさは覚えているし、だからこそブログを書き続けてる。

 

何日分も予約投稿しているって話したら、読者が凄いと言ってくれたことがある。それが出来るのは、能動的な執筆への意欲が有り余ってるからだと自負してる。

 

因みに、小説を書いていたのは高1くらいまで。約5年間、1つの小説を作り続けていた。何百ページに及ぶのか、自分でもよく覚えていないくらいの長編。

 

ジャンルの違う別個の小説でも、最後には1つの物語として繋がるオチを構想してて、「俺の人生自体が1つの小説なんだ」とか痛い発言してた覚えある。完全に火の鳥をパクってるんだけど。

 

でも、こうやって回想してみると、また小説を書きたくなる。仕事が手につかなくなりそうでやらないけど。

 

その意欲はブログへ回すよ。

 

何を売るかではなく、誰が売るか

価値経済の世は終焉を告げようとしている。

 

豊かな日本では、大抵の価値あるものは溢れていて、ただ品質の良いというだけじゃあまり売れなくなった。

 

それは、シェアリングサービスが普及し始めている事からも垣間見ることができる。

 

フリマアプリが広く知れ渡っている昨今からも察することはできて、みんながもう価値ある物を持ちまくっているので、逆にそれがいらなくなってる。だから、断捨離やミニマリズムが流行った。

 

こういう時代に商売をやろうと思ったら、商品を売る開発のノウハウより、「どうやって物を売るか」という販売の能力に重点を置いた方が良いな、と思う。だからインフルエンサーとかを利用して広告を打ち出す。

 

要は、信用経済なんよね。

 

「この人が使っているor勧めているから買いたい」

 

こういう人が増加しているんだろう。

 

逆に、「この人からは買いたくない」もあるしね。

 

飲食業でこれを言うやつ散見するんだけど、味はそこそこでいいのよね(笑)

 

それ言っていいの?と思うけど、マーケティング次第で売れるのよ。

 

例えば、1000円前後する手打ち蕎麦食べる人って皆の周囲にどれくらいいる?

 

蕎麦食べたくなったら、コンビニのやつか乾麺、チェーン店の安いもので良いのよ。美味さは手打ち蕎麦の方が勝るけど、工場がどっかで作られた安い蕎麦で十分。めっちゃ美味い訳じゃないけど大して不味くないし、なんせ安価だから。

 

今時、大抵のものは従来より安くなっていってる。そんな時代に高い物を好むのはマニアなのね。コーヒーやファッションでも、色んな分野でそうだけど。

 

で、そういうマニアックな人は商品をちゃんと吟味してる。色んな蕎麦屋の特徴を捉えて、常連になる場所を探してる。

 

そういった中で売れるには、蕎麦職人一人ひとりの個性を魅せる必要があるんだろうなぁ、と。個性は手打ち自体に表れるんだけど、それだけじゃなくて、個人としての魅力。

 

『個の時代』って意識高い系の人らからしたら有名なんだけど、なのにSNSを活用している方は少ない。一応アカウントを持っている人はいても、「新商品出します」とか「いついつは臨時休業です」とか面白みがない。

 

そういった業界だからこそ、俺はネットを使っていく蕎麦職人になりたいなぁと改めて思った訳です。

 

それでは!

 

ビジネスシーンにスーツは必要か?

 

誰かが「スーツの方がコーデ考える時間省けて楽」と言った。

 

スーツの持つ効率的な利点を教えてくれて、確かにそういうだなと思った自分もいる。

 

でも俺は服が好きで、悩んでる時間も楽しんでいる。身に付けるファッションアイテムによって相手の印象も変わるから、「この場面ではどう思われた方が良いか」と吟味して、服選びを行う。

 

スーツには真面目や誠実などといった先入観とも言える印象を与えるので、そういった意味では選択肢の一つであるんだろうけど、だからといって「職場じゃスーツを着るのが当たり前」という風潮はいかがなものかな?と思っている。

 

正直いうと俺は「常識」という単語に対して反吐が出るほど忌み嫌っている節があるからこそやるんだけど、俺はスーツを着ない。

 

そもそも、スーツを持ってない。買えと怒られても買わなかった。高いし。

 

会食など、周りがスーツを着ている場面でさえ私服で参加する。強いて言えば、ジャケット羽織る事があるくらいかな。

 

あと、ドレスコードを導入してる店の理由を察することができるけど、そういう所へも行かない。

 

着たいものを着ていきたいのに、なんで相手へ合わせるの?と思う。

 

これは俺が色んな場面で言うことだけど、他人は危害を及ぼしていないのであれば、何をやろうと自由なはずだ。

 

スーツを着なくたって何の問題もない。会議において、俺の提案や反論が変わる訳でもないし。

 

だからこそもっかい言う。着たい人は着ればいいけど、そうじゃない人は好きな物を着ればいいんじゃない?

 

賭ケグルイのグッズを手にすることに成功した…

今週のお題「好きな漫画」



再三申しております通り、あたくしは賭ケグルイが三度の飯より好きな事で有名ですが、賭ケグルイのクリアファイルが欲しくてアマゾンの奥地へ旅立つことにしました。

 

草木をかき分け、血で血を洗い、トラを蹴飛ばし、ワニを踏み潰し、ようやく手に入れたのがコチラ!

 

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女神か?かわいすぎんか浜辺美波さん。名前も美しいし。

 

劇場版の演技やばかったですよね。怪演とは正にこの事なんでしょう。

 

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池田エライザ。マジ神。もうむり崇拝しよ…。

 

この方も適役でした。めっさ美人。やばし。

 

「ばぁ!」が可愛すぎて一生ずっと無限ループしてたいもん。

 

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まいんちゃんはギャップが衝撃的だった。こんな演技するとは思いにもよらない。新たな才能を開示した、ある意味恐怖すら感じるほど、素晴らしかった…。

 

この映画の一番見てほしいシーンは、まいんちゃんが戦略を自白する場面。あそこで、まいんちゃんへの先入観がぶち壊された。それでいて魅力的。

 

男の人は誰だっけ?名前も知らないんだけど、ごめんね。

 

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